2022年11月15日 「1.6 さらなる学習のために」 を読む >> 目次に もどる


 本節では、モデル について考える前に読めばいいと思われる書物を いくつか列挙しています。しかし、当然ながら、そこに記載した書物を読めば モデル がわかるというものではありません。あくまで、モデル について考える前に これくらいの書物は読んでおいてくださいという入門書を記載しました。モデル を作成する システム・エンジニア 全員が ここに記載された書物を読まなければ モデル を知ることができないなどという暴論 (知ったかぶり?) を私は言うつもりはないです。論理的意味論を学ぼうとする人たちが読んだほうが 後々 役に立つだろうと思って、私が読んできた書物の一部を記載しました (私は、ここに記載された書物のほかに数多くの 「論理」 に関する書物を読んできています)。

 モデル の学習に限らず、他の学習でも、初めて学ぶときには、その領域の入門書を先ず 5冊買ってきて、その 5冊を取り敢えず小説を読むように通読するのがいいのではないかしら。それらの一冊一冊を 順次 丁寧に読むというのではなくて、とにもかくにも──書物の内容がわかろうがわかるまいが── 5冊を読破することを先ず勧めます。そして、5冊を読み終えたならば、その領域の だいたいの全体像が頭のなかに朧気に浮かんでいるので、それらの中から自分の好みに合う書物を 1冊選んで、次に (今度は) その 1冊を丁寧に読めばいい。そういうふうに再読すれば、今までわからなかった点が全体像のなかで把握できるようになっているので、初めて読んだときに比べて読みやすくなっているでしょう。そして、1冊を丁寧に再読したら、次に残りの 4冊を丁寧に読めばいい。さらに、それらの 5冊を再読したならば、今度は疑問点が いくぶん はっきりしているので、その疑問点に答えてくれると思われる他の書物を買ってきて、読めばいいでしょう。そういうふうに「芋づる式」に読書を拡げていけばいい。実は、この学習法を私は本居宣長から学びました。本居宣長は、「うひ山ぶみ」 のなかで、次のように述べています──

    初心のほどは かたはしより文義を解せんとすべからず
    まず 大抵に さらさらと見て 他の書にうつり かれやこれやと読みては
    また さきにみたる書へ立ちかへりつつ 幾遍もよむうちには
    始めに聞えざりし事しも そろそろと聞ゆるやうになりゆくもの也

 さらに、本居宣長は、次のように論を進めています──

    しょせん学問はただ年月長く、うまずおこたらずに、はげみつとめる
    ことが肝要である。まなび方はいかようにしてもよいだろう。さして
    拘泥するにはおよぶまい。方法がどれほどよくても、おこたって
    つとめなければ効果はない。

    さてまたおいおい学問に入りこんで、事の筋道もおおかたは合点の
    ゆけるほどにもなったときは、どの書でもあれ、古書の注釈を作ろうと、
    早くこころがけるがよい。ものの注釈をするのは、すべて大いに学問の
    ためになることである。

    語の詮議とは、もろもろのことばにつき、そのようにいう本来の意味を
    考えて、これを釈 (と) くことをいう。(略) されば、ことばはすべて、
    そのようにいう本来の意味を考えるよりは、古人がこれをどう使ったかを
    よく考えて、しかじかのことばはしかじかの意味に使ったということを
    あきらかにきわめ知ることこそ肝要である。

 彼は、さほど難しいことを謂っている訳ではないのですが、われわれが うっかりすると忘れてしまうことを的確に撃ち抜いていますね。

 いままで 「数学基礎論」 を学習したことのない人が入門書を 1冊読んで、「数学基礎論」 をわかる訳がない。自らの考えを拡げて、かつ、深めるために、書物を読むということは、自らの都合の良いように読むということではない。しかし、うっかりすると、さっと一読して、おおざっぱに理解して、いっそうの読書を進めないまま、一読した文意を拡大解釈してしまうことがあり、わかりきっていると思われる基本概念を軽視してしまいます。理解したと思いこんでしまうと、正確な意味を知ることができなくなってしまい、概念が、空回りしてしまいます。

 「この基本概念を、いったい、確実に知っているのか」 ということを問いただしてみればよいでしょう。問い詰めていけば、かならず、いずれ、あやふやな点と向きあうはずです。その あやふやな点は、「直接に知っている」 事物を引用すれば、消え去るのかどうか、という点を確認すればよいでしょう。

 入門書というのは、学習の起点であり、そして学習を 或る程度 修めた 「まとめ」 としての終着点でもあります。本居宣長の助言は、入門段階にいる人たちに向って述べられているのですが、或る程度、研鑽を積んだ人たちにも通用します。初心忘れるべからず、ますますの初心忘れるべからず。

 私は、いわゆる 「文系」 の学生でした。学生時代 (高校時代、大学時代) には、数学を大嫌い (苦手?) な 「文学青年」 でした。そんな 「文学青年」 は、「うひ山ぶみ」 を学生時代に読んでいました。そういう 「文学青年」 が 仕事上で数学を学習しなければならなくなったとき、「うひ山ぶみ」 の教えは とても役に立ちました。「うひ山ぶみ」 について、本書では 一切 触れていませんが──というのは、コンピュータ の技術書のなかで 「うひ山ぶみ」 の中身を詳細に述べることは、技術書としての目的から逸れるので、一切 言及しなかったのですが──学習を進めるうえで、私の学習法の根本になっています。およそ一般 ウケ しない拙著を入手するような人であれば、私に欺されたと思って、上述した学習法を いちど 試してみてください。そういう学習法を信じた 「文学青年」 が大嫌いだった数学 (「数学基礎論」) を 或る程度 学習できたのだから、あなたにも効力が きっと あるでしょう。 □

 




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