2004年 6月 1日 作成 経営成果 (利潤の考えかた) >> 目次 (テーマ ごと)
2008年 9月 1日 補遺  

 

 
1. 経営存在目的と経営行為目的

 (1) 経営組織体が他の組織と区別される基本的な要因は、事業経営にある。
 (2) 事業は経営存在の基盤である。したがって、事業は経営存在目的である
 (3) 環境が相違すれば事業経営のありかたも相違する。
    [ だれのための、なんのための事業運営か、という点が論点になる。]
 (4)「利潤追求」は、経営存在目的ではなくて、経営行為目的である。

 
2. 経営目的論は、以下の 2つに類別できる。

 (1) 企業者 (株主) と利潤目的論
 (2) 組織と共同利益目的論

 
3. 企業者 (株主) と利潤目的論

 (1)「経済人」 仮説(参考)に立って、経営は、株主の利益を極大化するために作用すると考える。
 (2) 企業 (business firm) は利潤をつくるために設計された一つの組織である。
    利潤はその成功をはかる最も重要な尺度である、と考える。
 (3) 利潤は資本所得 (稼得資本) である。
 (4) 利潤目的は、企業者経営 (「所有と経営の未分離」 段階) では、自己資本利潤率である。
    企業経営 (「所有と経営の形式的分離」 段階) では、総資本利潤率である。

 
4. 共同利益目的論

 (1) 組織と管理によって事業と企業が統合され、経営が存在する。
 (2) 事業目標は、財・サービス の提供にある。
   a. 企業目標は利潤にある。
   b. 利潤は以下の 2つから構成される。
     (a) 配当
     (b) 内部留保
 (3) 管理目標は組織の有効性と能率にある。
   a. 配当は株主の動機を満足する能率の範疇で扱われる。
   b. 内部留保は (資本化されるので) 組織目標の達成度を示す有効性の範疇で扱われる。
 (4) したがって、経営目的は、
   a. 組織目標と管理目標を統合して、
   b. すべての貢献者の動機を満足するために能率を実現し、
   c. かつ、財・サービス の提供を有効的に達成する点にある (「共同利益の最大化」)。
 (5) 共同利益は、「付加価値」 として認識される。

 
(参考)

 経済学のなかで扱われている概念。  意思決定は、以下の段階を辿る。
 (1) 代替案を列挙する。
 (2) 代替案の結果を予測する。
 (3) 結果を評価する。

「経済人 モデル」 は、以下を前提にしている。
 (1) 代替案を 「すべて」 列挙できる。
 (2) 代替案の結果を 「完全に」 予測できる。
 (3) 結果を 「客観的に」 評価できる。

 「経済人 モデル」 に対して、サイモン (Simon, H.A.) は、意思決定論の観点から、「管理人 (administrative man) モデル」 を提示した。「管理人 モデル」は、以下を前提にしている (「限られた合理性」 と 「満足」)。
 (1) 列挙できる代替案は限られている。
 (2) 予測される代替案の結果は 「不完全」 である。
 (3) 結果を評価するための 「客観的な」 基準はない。





[ 補遺 ] (2008年 9月 1日)

 会社法は、商法で使われていた 「営業」 という用語を 「事業」 という用語に変えました。その変更理由は、会社のすべてが 「営利」 を目的として設立されているのではないから、とのこと。そして、この理由は、「経営存在目的と経営行為目的」 を意識しているのでしょうね。事業が経営存在目的であるならば、利潤追求は経営行為目的の ひとつであって [ したがって、すべてではないので ]──事業形態のなかで、その比率は高いのでしょうが──、利潤を追求しない経営行為目的もある──その典型的な例が NPO ですが──ということになるでしょうね。

 私は経済学者ではないので、「経済人 モデル」 が マクロ 経済の動向を考えるうえで、どのくらい役立っているのかを判断することができないのですが、モデル という観点から言えば、最大限に抽象化された モデル (目的関数) を まず 作って、それから、その モデル に対して、その モデル が適用される範囲 (universe) を限って、制約・束縛 (制約条件) を付与する接近法が間違っているとは思わない──どうして、こういうことを言うのかといえば、「経済人 モデル」 と 「管理人 モデル」 の ふたつを比較して、「管理人 モデル」 のほうが 「経済人 モデル」 に比べて 「現実的だ」 というふうに 「『解体』 の虚偽」 に陥らないようにしてほしいからです。「『解体』 の虚偽」 というのは、集合に適用できる性質が、その元 (構成員) にも適用されると思いこむ虚偽です──たとえば、企業 A には技術力があるから、企業 A の社員の すべても技術力がある、と推測する虚偽です。逆に、「『合成』 の虚偽」 もあって、元 (構成員) に適用できる性質が集合にも適用できると思いこむ虚偽が 「『合成』 の虚偽」 です──たとえば、企業 A の それぞれの社員には技術力があれば、企業 A には技術力があると推測する虚偽です。ミクロ 経済を対象にすれば、「経済人 モデル」 は、たぶん、役立たないでしょう。それと逆に、マクロ 経済を対象にすれば、「管理人 モデル」 が役立つかは争点になるでしょうね。「集合は、集合としての性質をもつ」 という考えかたが形式的構成を作る前提です。「マクロ 経済学は現代の経済動向を説明できていない」 という非難を経済新聞で私は目にすることがあるのですが──私は、経済学者ではないので、その非難が正しいかどうかを判断できないのですが──、もし、「経済人 モデル」 という前提が機能していないのであれば、その モデル を改良すればよいのであって、経済学者たちは そうしているはずだ、と私は かれらに信を置いています。われわれ シロート は、往々にして、適用範囲・前提の違う モデル を比較して云々する傾向があるので注意しなければならないでしょうね。ちなみに、私は、大学院で会計学を専攻していたので、「経営 (ミクロ 経済)」 の観点に立って考える傾向が強いので、「管理人 モデル」 を範にしていますが。

 私は、大学生の頃、マクロ 経済を 「サミュエルソン の経済学 (上・下)」 で学習しました。サミュエルソン 氏 (ノーベル 賞受賞者) は、かれの モデル を非難されたときに、以下のように言ったそうです。

   「すべての事象に対して適用できないことは わかっています。では、他の代替案を示して下さい。」

 蓋し、名言ですね。サミュエルソン 氏が ガルブレース 氏の著作に対して評した言を読んで私は 「学者の矜恃」 を感じました。ガルブレース 氏は、当時、著名な経済学教授で、難しい経済理論を われわれ シロート にも わかりやすく説明する力量が すぐれていたのですが、サミュエルソン 氏曰く、

   「たしかに読みやすい。ただし、高校生向けの」。

 第一級の学者が ほかの学者に対する評を さておいても、「ミーハー 本」 ばかりを読んでいれば、正確性を追究することが疎かになる危険性があります。「われわれ実務家は忙しいので、書物など読んでいる暇がないし、学問は ふだんの生活のなかでは ほとんど関係がない」 などという戯言を聞いたことがあります。そういう短絡的な考えかたをしていれば、たとえば、(経営存在目的と経営行為目的を ごっちゃにして、) 「事業=利潤追求」 という単純な等式しか思い浮かばないでしょうね。

 マクロ 経済の観点に立って、「経済人 モデル」 を前提にすれば、企業 (法人) を ひとつの集合として考えて、その稼得資本 (利潤) を最大化する 「利潤目的」 のモデル を考えるのは妥当でしょうし、ミクロ 経済の観点に立てば、企業 (法人) には様々な個人 (利害関係者) が関与していて、利害関係者のあいだで (利潤の) 「分配 (配当、租税など)」 を配慮しなければならないので 「共同利益目的」 という点がでてくるという当たり前のことを覚えておけば宜しい。





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