1. 「経営倫理」 は、米国では、以下のように制度化されている。
(1) 1991年、連邦政府は刑量 ガイドライン (Federal Sentencing Cuidline) を制定した。
- 企業の違法行為について罰金の方式を記述してある。
- 例外的な不祥事と故意的・構造的違法行為を区別している。
- 未然措置を取っている組織とそうでない組織との罰金を別々にしている。
(2) 企業は、以下の 3つの経営倫理制度化を導入している。
- 倫理行動憲章 (Code of Conducts) を作成する。
[ 20ページから 30ページほどの小冊子、Do's and Donts' が具体的に記述されている。]
- 社内教育をする (倫理行動憲章を習得する)。
- 倫理担当部署を設置する。
2. 社会的責任は、歴史的に観て、以下の段階を辿った。
(1) 国力としての資本蓄積
- 企業経営の責任は国家への経済力の増大にあった。
- 労働力災害や公害が経営の責任であるとする道徳は、ほとんどなかった。
(足尾銅山の鉱毒事件は 「公害」 ではなくて 「事件」 であった。)
(2) 家族主義的経営
年功賃金・退職手当など勤続奨励的待遇は、労働者に対する経営責任であった。
(3) 産業合理化政策
第二次大戦後、傾斜生産方式 (政策) として、石炭・鉄鋼の生産集中がなされた。
(4) 労働三法の成立
労働三法が成立して、労働組合が 「企業内組合」 として結成された。
それに対抗して (企業権を回復するために)、経営者組織が結成された。
- 経済同友会 (1946年)
- 日経連 (1948年)
(5) 合理化 カルテル の黙認
(朝鮮動乱が起こって特需になって、) 財政投融資計画は、工業基地の建設を奨励して)
独占禁止法は 「合理化 カルテル」 を認めた。
(6) 公害
- 1950年代、公害 (大気汚染・水質汚染) や製品公害 (砒素中毒、カネミ 油症) が起こった。
- 厚生省は、1955年・57年に 「生活環境汚染基準法案」 の準備をした。
- 経済同友会は 「経営者の社会的責任の自覚と実践」 を公表した。
- 経団連は公害の法的規制に対して反対の意向を示していた。
[ 経営の事業責任は経済責任とされていた。 ]
(7) 「大量生産-大量販売」 体制
- 1960年には、「所得倍増計画」 が示された。
- 1960年代になって、事業部制が導入された。
- 1968年、GNP は世界第二位となった。
(8) 資源不足
- 1972年、「日本列島改造計画」 が公表され、投機行為が起こった。
- 1973年、石油危機が起こった。
(9) 住民運動・消費者運動・環境保護運動
- 1960年代から1970年代、住民運動・消費者運動・環境保護運動が起こった。
- 公害対策基本法、大気汚染防止法などの公害関連法が成立し、環境庁が設置された。
3. 「企業の評価」 は、いままで、資本評価 (信用分析など) に力点があった。
(1) 資本評価は (「市場の原理」 から言えば、) 証券評価になる。
(2) 資本評価の手法は次第に充実して、「格付け」 や 「買収・合併」 の有力な指標となってきた。
4. 社会的責任の観点から、「企業の評価」 は多様化している。
(1) 社会経済生産性本部 (旧、日本生産性本部) は、以下の諸点を提示している [ 1974年 ]
- 経営責任指標 (収益性指標、安定性指標、生産性指標など)
- 従業員責任指標 (経済福祉指標、労働環境指標、生活環境指標など)
- 社会的責任指標 (消費者関連責任指標、市民関連責任指標など)
(2) 日本経済新聞社は、NEED・CASMA を使って、「優良企業 200社 ランキング」 を公表している。