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He that would know what shall be, must consider what has been.

 


 コンピュータ 業界誌では、最近、「再び脚光を浴びる DOAData-Oriented Approach、データ 中心 アプローチ)」 という特集記事が、いくつか掲載されました。それらの記事を読んで、小生は、少々、うんざりしています。

 喩えてみれば、箪笥のなかから (20年前の) 古着を取り出してきて、当時、DOA に関与していなかった人たち--あるいは、DOA を実地に使ったことはないが、書物を読んで概念を知っている人たち--が、民俗学的に、「古い」 DOAOOAObject-Oriented Analysis)・OODObject-Oriented Design) と対比して論述しているようですね。

 チェン ER (意味論) は、確固たる公理系ではないので、単なる描画技法であるし--データ を設計する技法ではなくて、データ 構造を可視的に描く技法にすぎないし--、「モデル (公理系)」として パーフェクト だった コッド 正規形は、事業のなかで実地に使われている データ を対象にしたとき、数理 モデル を論理的意味論として考えて、null を 「意味論的」 に扱うために--null には、undefined と unknown の 2つの 「意味」 があるので--、4値論理 (真と偽という 2値のほかに、undefined と unknown を考慮した論理) を導入したので使いにくかったことは、20年数年前に知られていたし--コッド博士は、1980年代後半に、「SQL の致命的欠点 (fatal flaws)」という論文を公にして--、null を扱えない IBM 社の SQL を非難なさっていらした。いまさら、それら (チェン ER と コッド 関係 モデル) は論点にはならない。

 まして、「古い」 DOA が提示した「コッド 正規形を生成して、それを チェン ER で描画する」という やりかた が間違いであることは、10年前に証明済み。

 こういう亡霊が徘徊すれば、DOA が、いま、一時的に顧みられても、いずれ、消え去るでしょうね。時代の流れのなかで、「古い」 DOA を改善した「新しい」 DOA (公理系) が提示されています--ちなみに、「新しい」 DOA のことを、「DOA+ (DOA プラス)」 といいます。

 いま、われわれがやらなければならないことは、或る公理系を立脚点とする DOA+ (データ構造) と、それとは違う公理系を立脚点とする OOPObject-Oriented Programming、プログラム の アルゴリズム) を、どのようにして結ぶか、という点です。その提案が、様々な IT 技術の選択肢のなかで、現実的な最適解を探している企業に対して、ソリューション の 1つとなるでしょう。
 すなわち、DOAOOP 」 を実地に使えるように提示することが、DOA+ を信奉する人たちの責任である、ということです。

 「再び脚光を浴びている」 DOA が、「懐かしの メロディー」 という特番として、一時的な催しに終わらないことを祈っています。

 
 (2003年10月6日)

 


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