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The world is a wheel.

 
 数学的な正しさというのは、(限定された領域を対象にして) 1つの統一的な数理 モデル を作ることにあるが、エンジニアリング の正しさというのは、それぞれの合目的な システム を、複数、インタフェース を介して接続する点にある。

 目的を実現するために、いくつかの代替案が提示され、いくつかの代替案のなかから、(現時点において、「制限された合理性」 のなかで) もっとも効果的・効率的な代替案が採択される。

 したがって、システム 作りでは、つねに、ほかの システム との接続が考慮されなければならない。しかも、ほかの システム との接続は、一昔前のように、「全体と個」 という単純な構造ではない。一昔前なら、1つの システム は、「閉じられた体系 (a closed loop)」 として考えられ、1つの システム を 「全体」 として考えて、サブシステム が、全体の観点から、どのような構成にすればよいか、という配慮をすれば良かったが、インターネット が普及するにつれて、システム は、「拡散的な (proliferation)・広域的な」 接続を前提にするようになったので、「全体」 を想像することができない

 事業過程のなかで、購買過程・生産過程・販売過程を対象とすれば、生産過程は企業内の プロセス であり統制可能だが、販売過程は企業の外 (マーケット) を対象としているので、統制不可能である。統制不可能な マーケット に対して影響を与えるために、企業は、マーケット を要素化して系列化しようとする。
 同じような事象が、「やっと」、システム 作りでも観られるようになってきた。

 1つの企業のなかの システム を対象にしていれば、企業を 1つの 「全体」 として、企業のなかで実施されている営みを 「構造化」 概念を使って記述することはできるが、企業を超えた システム に対しては、「構造化」 概念を適用できない。
 それぞれ独立した システム が、インターネット を介して、網のなかに参入したり撤退したりしている状態においては、「範囲を限定する」 ことができないので、「全体」 を記述することはできない。

 「構造化」 概念に慣れた システム・エンジニア が、ウェッブ の世界に対して戸惑いを感じるのは、使われている技術の相違ばかりではない。「意識の相違」に対して戸惑いを感じているはずである。大型汎用機系の SE が、ウェッブ 系の SE を非難して、以下のように言っているのを小生は聞いたことがある。

  「『情報、情報』と、あなたたちは言うが、『事業』という観点が欠落している。」

 
 さて、独立した システム が接続される世界では、システム 間でやりとりされる対象は データ であって、プログラム (アルゴリズム) でもなければ、事業の手順でもない
 データ をやりとりして コミュニケーション が成立するということは、システム を作るために使われた手順が一致することではない。語-言語であれ、像-言語であれ、コミュニケーション が成立するということは、語-言語の 「意味」 が 「合意」 されていればよいのであって、語-言語の 「意味」 は事業を記述している
 事業のなかで営まれている事態を対象にして、(複数の SE の価値観に依存しながら) 事態を構造化することに比べたら、事業のなかで--および、複数の システム の間で--やりとりされる情報 (語-言語) を解析したほうが、事業について、ヨリ正確な理解を得られる。

 人為的に構成された構造が、実際の事業と同じ体系になることはあり得ないことであるし、我々 エンジニア が実現しなければならない点は、事実を正確に記述して、その記述を環境変化に対応して迅速に変更することであって、1つの 「構造」 を統一的な モデル として固定化 (凍結) することではない

 システム 作りの最初の段階において、(事業を責任もってやったことのない) SE が、エンドユーザ の仕事を聴取して事業の構造を記述するという やりかた は--しかも、数ヶ月してから、作成された構造図を 「凍結」 するという やりかた は--、[ 適正に作用していないのだから ] そろそろ、ほかの代替案を考えて、見直されても良いのではないか。
 30年前の やりかた が、いまでも通用する、と思っているほうが非常識 (illogical) ではないか。SE の頭脳のなかから欠落している 2つの知識は、「機会原価 (opportunity cost)」 と 「歴史的な視点」。

 (2003年11月18日)

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