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Borrowed garments never fit well. |
たとえば、T字形 ER手法は、コッド 正規形の 2つの弱点 (「関係の並び」 と 「属性値の null」) を回避することを目的として作られたのですが、T字形 ER手法の最終形は、数理 モデルのなかに意味論を導入しなければならなくなった。セット・アット・ア・タイム 法 (コッド 正規形) が使った数学的手法 (直積集合) は、属性値集合を前提にして tuple を生成する関係 (関数) でした。
コッド 博士は、当初の モデル を拡張する論文を提示しています。その論文では、直積集合の domain として、属性値集合のほかに、主体集合を入れることを提示しています。
提示された 1つの 「モデル」 のまわりには、膨大な知識が関連していて、それらの知識を 「芋蔓式に」 追跡していけば、おそらく、追跡することばかりに労力を費やして、自らは、なにもできないまま──さらに、一歩を進めることができないまま──終わることになる。だから、闇夜のなかの海に投げ出された感覚が起こるのでしょう。 たとえ、対象を限定しても、「意味」 そのもの (定義) を記述して、構造を考えようとすれば、悪しき抽象論に陥るか、無限後退に陥ることになるでしょう。たとえば、「鳥は飛ぶ」 という命題を考えるとき、「鳥」 とはなにか、とか 「飛ぶ」 とはなにか、ということを考え始めたら、収拾がつかなくなるし、しかも、例外が出てくる (たとえば、海鳥の ペンギン)。このような 「『らっきょう』 の皮むき」 事態を回避するには、──意味は性質を記述しているのだから、──性質の存在を前提にして集合を考えて、それらの 「述語 (あるいは、性質)」 を集めたら、「個体」 の存在を判断できるというふうに考えることもできます。 たとえば、「『論理 データベース 論考』 の著者は、日本人である」 という複合的な固有名辞を考えるとき、以下の式で記述することができます。 ∃x (F (x)∧G (x)).
注意してほしい点は、固有名辞を述語に吸収しているという点です。
(1)F (x) であるような対象 x が存在する。
(2)G (x) であるような対象 x が存在する。 数学が対象としているのは、形式的な構造であって、物の定義ではない──数学では、物は無定義語です。すなわち、値を一意に定めるような アルゴリズム があって、「物が存在するとは、関数の変項になりえること」 であるというのが数学の考えかたのようです。
僕は数学が苦手ですし──高校生のとき、数学の点数が (100点満点の) 12点だったこともあるのですが (苦笑)──数学を専門にしていない我々 シロート は、数学の プロ が精確な式を操作するのと同じ程度に数学を使うことは、まず、ないでしょうが、記述された式を読むことができるようにはしておきたい。
そして、いったん、「構造」 を構成する手続きが提示されたら、手続きに従って、値を操作して具体的な 「構造」 を生成できる、というのが 「理想」 でしょうね。 なぜなら、論理式を作るときに回避した 「言葉の 『定義』」 が、亡霊のように現れるから。たとえば、従業員を考えてみましょう。 従業員 ⊃ {入社日 (x) ∧ 従業員番号 (x) ∧ ...}. 数学的な構造のなかでは、上述の式は正しいのですが、たとえば、以下のような 「存在論」 を考えてみましょう。
(1) 状態──モノ そのものの性質 (第一性) もし、そういう 「存在論」 を前提にすれば、入社日は、入社という作用に帰属する性質である、というふうに判断することもできる。こういう観点が入ってくると、「構造」 を生成する作業が、次第に、込み入ってきますね。ただ、その観点も 「モノの見かた (世界観)」 の 1つなので、無視する訳にはいかない。つまり、対象となる世界を、どのような前提で観ているか、という点が論点になるのです。 哲学のなかには、数々の派があるそうですが──僕は、哲学も シロート なので、哲学のことも多く知らないけれど──、おそらく、「派」 というのは、「モノ の見かた」 が違うことが理由なのでしょうね。 数学の世界と哲学の世界の間で翻弄されはじめると──しかも、エンジニア の僕は、いずれの世界の専門家でもないので──、もう、闇夜の海のなかに投げら入れられ、溺れないように懸命に泳いでいる、という感覚が起こる。しかも、「モデル」 を作るときに使った数学的な手法や哲学的な考えかたを間違って理解しているかもしれない、という強迫観念がつきまとう。
そういう不安感・恐怖感を回避するためには 1つしか救済法がない。 ちなみに、T字形 ER手法は、或る目的のために、或る前提に立って、ルール どおりに作成すれば、或る構造が記述できる、という技術 (technique と mechanism) です。それ以上でも、それ以下でもない。
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