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Wit and wisdom are eternally precious. |
当日、最終講義がおこなわれた小野講堂は、立ち見席が出るほどの参加数でした。演題は、「Technical Communication の現状と展望」でした。記念講演会の時間帯は、17:00から 18:30でしたが、篠田教授が御講義なさった時間は、17:30 から 18:30の1時間でした。ご講演の後、親睦会が催されました。 篠田教授の最終講義を聴きたかったので、当日 (土曜日でしたが)、小生は拙宅にて仕事をしていて、仕事を途中にしたまま、大学のほうに向かいました。やり遺しの仕事があったので、講義を聴講して、(親睦会に参加しないで、)直ぐに帰宅しました。 帰宅してから、中途にしたままの仕事に取り組む前に、最終講義の ハンドアウト を読み返して、小生は、感動を、再び、味わいました--もっとも、講義を聴いた興奮が冷めやらないので、自らの仕事に、なかなか、着手できなくなってしまいましたが(笑)。
篠田教授の御講義を拝聴させていただいて、小生は、自らの 仕事のやりかた (と研究のしかた) について、数多くの反省点と いくつかの視点を得ることができました。 第一級の専門家が興味を抱いて取り組んでいる テーマ は、我々 シロート にとっても、興味深い論点でしょう。そして、その テーマ を、同時代に生きている先人から、直接に聴くことができる、というのは、学問をする喜びの 1つではないでしょうか。
音楽の 「生の」 演奏は 「here and now」 (二度と再現できない一過性) の芸術です。演奏を CD (compact dics) のなかに録音して聴くこともできますが、「生の」 演奏に比べたら、喩えれば、清涼飲料水から炭酸がぬけてしまったような感覚を、小生は抱いています。
CD と 「生の」 演奏との対比は、書物と講演にも適用できるでしょうね。 しかし、基礎を教えるというのは--そして、礎石として成立している基礎が、どのような 「構造」 になっているのか、というふうに、「からくり」 をしゃべるとなれば、--第一級の専門家しかできない、というのが、正しい。 コンピュータ 業界では、データベース 設計技術を教える際、(コッド 氏の論文を読んだことがない、セット・アット・ア・タイム 法の 「からくり」 を知らない)人たちが セミナー 講師になっている現状を観ていて、小生はあきれ返っていますし 虚しさを感じています。こんな現状では、データベース の凄さ・怖さを教えることはできないでしょう。
コンピュータ 業界では、SE の質が低下したことを嘆いている割には、教育が軽視されている現状を観て、小生は怒りを感じています。実地の仕事に比べて、教育を、一段低くみなしている考えかたに対して、小生は怒りを感じています。仕事の品質 (SE の力量) が問題視されているにもかからず、教育を、一段低くみなす考えかたは、正常ではない。
機会があれば、篠田教授の御講演を お聴きください。
IT時代に住むわれわれは、いくら立派な研究をしても、いくら立派な仕事をして
[ 最終講義「Technical Communication の現状と展望」]
(2004年1月26日)
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