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There is small choice in rotten apples.

 
 「10年ひと昔」という言い方をしますが--あるいは、進歩が速いので、「dog year」という言いかたも、最近、されていますが--、今のコンピュータ業界を10年前と比べて、マーケットのなかに出てくるプロダクトや技術は、数も種類も豊富になっています。

 多様性がある、ということは良いことでしょう。ただ、多様性は、いっぽうで、多くの対象のなかから、自らの嗜好に合う物を探して選択しなければならない、という「面倒さ」を伴うようです。つまり、もし、多くの対象(候補)が似ていれば、選択するために、「考えなければならない」。

 この「考える」というのが面倒であれば、あるいは、「考える」ということにストレスを感じるなら、「考えることを止めて」、多くの人たちが買う物を追従して買う、という安直さ (判断の回避) が起こるのでしょうね。だから、価値観の多様性と云われて割には、多数の人たちが、(物の価値を判断して買っているのではなくて、) 誘導的な宣伝に躍らされるのでしょうね。とすれば、価値観の多様性という割には、「all or nothing」という奇妙な現象が起こるのでしょうね [ 「皆がやっている (the thing to do)」という言いかたは、思考の省略としか、僕には思えないのですが、、、]。

 いっぽうでは、選択のために判断しようとしても、プロダクト (あるいは技術) が「高機能」になっていて、プロダクト (あるいは技術) の仕組みを知ることが、なかなか、できない、という状態にもなっているようです。

 プロダクト (あるいは技術) の価値は、「使用価値」ですから、「使用目的が はっきりしていて、操作が単純である」というのが、プロダクト (あるいは技術) としての本来の形態でなければならないのですが、昨今のコンピュータ・プロダクト (あるいは、技術) を観ていると、付随機能の豊富さばかりが目立つようですね。しかも、付随機能を「差別化」の特徴にしているから、いよいよ、設計思想が霞んでしまい、プロダクト (あるいは技術) の「使用効果 (目的に対する効果)」を計量しにくい状態に陥っているようです。

 複雑に交錯した事態を「単純な構造」としてモデル化する--できるかぎり、数少ない公理を前提にして、定理 (公理系) を作る--のが科学 (あるいは、エンジニアリング) だと思うのですが、エンジニアリングそのものが、進歩のなかで、次第に、諸機能を付与して、入り組んできたようですね。

 「もっと、もっと、単純に」という言葉はベートーヴェン (音楽家) が言ったそうですが、我々エンジニアは、技術的考慮点として、「単純性と実効性」を、改めて、配慮しなければならない状態にきているようです

 
 (2004年2月21日)

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