▲ このウインドウを閉じる |
Cowardly dogs bark much. |
たとえば、2000冊程度の蔵書なら、本棚のなかで、学問の領域ごとに、おおまかに整理しておいても、1冊の書物を探すことは、そうそう苦労しないでしょうが、数十万冊・数百万冊の書物を収納するとなれば、効率的に探すことができるように、なんらかの・周緻な整理方式を導入しなければならないし、かつ、整理方式 (言い換えれば、検索方式) は、単純であり、あらゆる観点からの検索に対して対応できる方式でなければならないでしょう。
同じことは、1冊の書物のなかでも、適用されています。「はしがき」のなかで、目的が綴られ、全体図として目次が提示され、個々の検索に対して索引が用意されています--書物が電子化されていれば、キーワード検索もできます。
読んでいる書物が、目的・前提・体系を示していれば、その書物のなかで、論理の飛躍があっても、僕は気にはしない。なぜなら、論理が飛躍している点は、新たな着想を生む契機を僕に与えてくれることが多いから。
全体の文脈のなかでキーワードは意味を付与されているので、全体を精確に読まなければ、キーワードの意味を正確に理解することはできないし、キーワードが、すでに、聞き覚えのある用語であればあるほど、誤読する危険性が高い。たとえば、僕が専門にしているデータベース設計の領域では、スキーマ (schema) という用語は、きわめて扱いのむずかしい用語です。 ほかにも、「意味論」という用語も、扱いのむずかしい用語です。言語学的意味論と論理的意味論では、「意味論」の意味が違います。言語学的意味論では、文と言語外現実との対応関係を論点にしますが、論理的意味論では、モデル (公理系) のなかでの意味の記述を論点にします。モデル自体も、扱いのむずかしい用語です。
次ぎに示す4つの「因」を、プラトンが言ったのか、それとも、アリストテレスが言ったのか、僕は記憶が曖昧なのですが--書斎に出向いて、文献を調べれば良いのですが、めんどうなので止めますが、御了承のほどを--、モノを考える際、役立つ考えかたでしょうね。
たとえば、時計を例にすれば、針とか文字盤とかリューズなどが質料因であり、時計が形相因であり、ぜんまい仕掛け (あるいは、クォーツ) が動力因であり、「時を測る」が目的因です。これらの概念は、およそ、「構造」を形成しているモノが対象なら、検討事項として、役立つでしょう。思想 (1つの公理系) を検討するときにも役立つでしょう。
さて、SQLを「醜悪」な言語というふうに非難した情緒豊かなエンジニアは、「醜悪」の意味を示すべきでしょうね [ 2004年2月29日付、参照 ]--僕は、自らの著した書物が酷評されても、なんとも思わないけれど、僕が尊敬するコッド博士の考えかたに対して、およそ、システム・エンジニアにあるまじき いい加減な論法で批評して いい気になっているヤツを許すことができない。
|
▼ このウインドウを閉じる |