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Today gold, tomorrow dust. |
モデルは「仮説」にすぎない。
(1) 或る立言 (文、あるいは文の集合) を前提とする。
以上が成立するとき、前提となる立言を「仮説」ということにする。 たとえば、以下の立言は、普遍的一般化であり、演繹的な「仮説」である。
(1) 認知番号を付与されたモノを「entity」とする。 (1) および (2) は、「初期条件を述べた立言」であり、演繹的ルールは、(3) と (4) である。(4) に対して、同じ帰結として、ほかの解釈が成り立つ仮説があるのではないか、という余地がある。 たとえば、「従業員」と「部門」があって、「従業員. 部門. 対照表」が成立するとき、対照表は、「配属」という「event」を示すと同時に、「どの従業員が、どの部門に対して配属されているか」という構成も示す。
T字形ER手法では、作図された構成と対比される事実は、「情報 (データベース化の対象となっている情報)」であって、現実の世界のなかで生起した事実のことではない。
「モノと関係」に対して、関係の論理(aRb)を演繹的に適用する際、関係の論理を、論理的な「関数」として使うか、それとも、2つの個体のあいだに成立する記述的な「関連」として考えるか、さらに、記述的な「関連」のなかで、ルールを作ることができるかどうか、という点は、「仮説」を作る中核の論点である。
「仮説」を作ること自体が、労力を費やす作業であるが、さらに、「仮説」を検証し続ける作業も、労力を費やす。単純なルールとしてまとめた「仮説」は、エレガントであればあるほど、うっかりすると、事実を、すべて、言い尽くしたかのような錯覚に陥るが--そして、ルールのみを、いつも、語っていれば、たやすいことだが--、経営環境が変化すれば、事実も変化するので、つねに、事実と対比して、モデルの検証を怠ってはならない。
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