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Take away the cause and the effect will cease. |
モデル (意味 データモデル や データ 設計 モデル) が、はたして、どれほど、システム 作りに対して貢献しているのか、という点を検討してみれば、「悲観的な」 結末になるのではないか。
たとえば、T字形 ER手法は、「ルール・ベース (生成規則)」 を提示しているので、ルール どおりに使えば、 SE の恣意性を排除できるようになっているが、ルール を 「改悪」 されてしまえば--たとえば、途中生成の対照表が煩わしいので、途中生成の対照表を はしょってしまい、思い描いている最終的な対照表のみを、いきなり、記述するとか--、(「思い込み」が忍び込んでしまい、) ほかの人たちが、T字形 ER図を読むことが、むずかしくなる。 しかし、モデル というのは、或る目的を実現するために、整合的な体系になっているので、目的 (および、使用 ルール) を外した使いかたをすれば、当然ながら、モデル は、当初の目的を実現することはできない。もし、使用上の注意点を無視して使っていながら、結末が思うようにならなかったならば、責任は モデル にあるのではない。
T字形 ER手法の ルール を自動化した ツール として、TER-MINE (ITS 社) があるので、TER-MINE を使えば、ルール を無視した使いかたができないようになっているし、小生が、T字形 ER図を、直接、指導すれば、ルール を 「改悪」 できないが、それ以外の状態であれば、ルール を 「改悪」 することができる。 概念設計のみを目的とするのであれば、T字形 ER手法は使いにくい。ファイル 設計のみを目的とするのであれば、T字形 ER手法は使いにくい。T字形 ER手法は、概念設計と論理設計を融合することを目的にして作った手法であって、「データ 構造 (形式)」 を原材にして、「事業過程 (意味)」 を見て取ることができる ルール になっている。したがって、途中生成の対照表が、事業過程のなかで、「有意味な」 event である (あるいは、「有意味な」 event になりえる)。 そういう丁寧な検討をしないで、途中生成の対照表を外して、いきなり、思い描いている最終形のみを記述されたら、T字形 ER手法の価値は半減してしまう。T字形 ER手法が、概念設計と論理設計の融合を目的とした理由は、概念設計では、 SE の思い込みが混入してしまって、概念設計が論理設計に対して正確な インプット を提示できていない、という点を改善するためであった。 逆に言えば、もし、概念設計が、論理設計に対して、正確な原材とならないなら、概念設計は、労力の浪費にすぎない。もし、そういう考えかたが、暗黙知として広まっているなら、概念設計は、 SDLC の体裁を整えるためにやっているのであって、論理設計に対する インプット として、期待されていない、ということになる。言い換えれば、概念設計が、どのような結末になっても、ファイル 設計さえできれば良い、ということになる。
しかも、ファイル 設計は、正規形など無視して、とにもかくにも、エンドユーザ 向けの情報を作成できる--そして、プログラム が作成しやすい--データ 構造であれば良い、と考えれば、データ 設計の モデル も無用となる。
モデル 作りに専念している人たちは、モデル こそが救世主であると思っているようだが、実地の システム 作りでは、モデル は軽視されているということを直視しなければならない。
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