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Seemed intelligent, but it's just a put-on.

 
 我々が使う語彙には、以下の 2種類があるそうです。

 (1) 理解語彙
 (2) 運用語彙

 理解語彙というのは、聞いて意味がわかるけれど、使うことができない語彙であり、運用語彙というのは、実際に使うことができる語彙のことです。
 コンピュータ技術に関しても、同じことが当てはまるのではないでしょうか。

 仕事のなかで実地に使う技術は、「運用語彙」に対応するでしょう。そして、その専門技術を使うために、関連領域のなかで使われている技術に関して、(関連技術を、実地に使う訳ではないけれど) 関連技術を理解していなければ、自らの専門技術を使いこなすことができない、という事態が、多々、起こるでしょう。したがって、関連技術は、「理解語彙」に対応するでしょうね。

 運用語彙 (すなわち、運用技術) が多ければ多いほど、ability があることになるでしょう--ただし、そういう力が、effective に使われているかどうか、という点は、改めて、検討しなければならないでしょうね。

 さて、SE が、概念設計・論理設計を担当するのであれば--たとえば、焦点をデータベース設計に限れば--データ設計の技術は運用技術でしょう。そして、事業過程に関する知識 (購買管理・生産管理・販売管理・労務管理・財務管理) は、理解語彙でしょうね。

 関連領域に関する知識として、どのくらいの語彙があれば良いのでしょうか。
 たとえば、財務管理の入門書を、1冊、手にしてみて、書物の最後のほうに記載されている「索引」を調べてみたらどうでしょう。おおかたの書物は、「索引」として、せいぜい、数ページ (多くとも、10ページくらい) しか割り振っていないようです。1ページのなかに、たとえば、90語くらいの語彙を収録しているとすれば、10ページでも、900語しかない。この語彙数は、少ないのではないでしょうか。

 900語程度の語彙を覚えるには、さほど、労力を費やすことにはならない、と想像できます。しかし、実際には、この程度の少ない語彙を理解するために、多大な労力を費やすことになります--これらの語彙を、ざっと理解するために、入門書を読んだとしても、1ヶ月や 2ヶ月を費やすことになるでしょう。そして、そういう入門書を、1ヶ月や 2ヶ月を費やして読破したとしても、せいぜい、キーワードを知った、という程度の習得度であって、理解語彙とみなすには、いまだ、怪しい習得状態でしょうね。

 たかが 900語程度の語彙を理解することが、どうして、むずかしいのか、といえば、それぞれの語彙に関して、「関連」を理解できないからでしょう。1つの構造 (あるいは、体系) は、「モノと関係」として記述されます。したがって、語彙を「モノ」とすれば、語彙の相互関係は、「関係」です。それぞれの語彙のあいだに成立している「関係」を理解できなければ、語彙は、単なるキーワードにしかすぎないし、全体像を理解することができないでしょうね。
 キーワードを豊富に知っているとしても、全体像の理解を促す訳ではないようです。

 さて、SE と呼ばれている人たちが、--たとえば、財務管理というふうに、1つの関連領域に範囲を限ったとして、--たかだか、900語くらいを理解できない、というのは、関連領域の概念を、単なるキーワードとして、断片的に知っているのにすぎないにもかかわらず、「知っているつもり」になっているからではないのでしょうか。あるいは、キーワードしか知らないのに、「知っている」ように振る舞って、「SE を装う」からではないでしょうか。
 1つの「構造」を作らなければならない SE が、「概念の正確性」を疎かにして、しかも、概念のあいだに成立する「関係」に対して、こまやかな配慮をしなければ、SE の作る「構造」は、いい加減になるでしょうね。

 運用技術を的確に体得していないし、理解語彙をキーワードとしてしか知らない SE のことを「なんちゃって SE」と云うそうです。ユーザたちが、そういう陰口を叩いていることを、SE たちは知っているのでしょうか。

 英語の「facade」は、「建物の正面構え」の意味ですが、転じて、「外見」とか「見かけ」という意味もあります。たとえば、「just a facade」は、「見かけほどではない」という意味です。「facade」は、「それらしく見せようとする」ことを暗示しています。
 いっぽう、「ごまかし」のニュアンスがあれば、「just a put-on」という言いかたになります。

 「見かけ倒し」は、英語訳として、「a false impression」とか、「not so good as it looks」になるのでしょうが、「見かけ倒し」の SE は、どうも、「SE を装う」ことが巧みであって、「just a put-on」といったほうが実態に近いように思われるのは、僕の思い違いでしょうか。
 プログラマが、30歳代のなかばになったので、自動的に--年齢を配慮して--、 SE になった、という職制では、なさけない、、、。

 
 (2004年 9月 1日)

 

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