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To lead a cat-and-dog life. |
また、選び出した対象に関して、対象が、いかにして成立しているのか、という点を調べて、整合的な「構造」を作るのが、科学的なやりかたでしょうね。すなわち、事物の成立を、できるかぎり、実効性ある・単純な・整合的な法則として記述するか、あるいは、(くり返して) 使うことができる「手続き」として記述するのが、科学的なやりかたなのでしょうね。 ただ、1つの対象を、くわしく調べて、法則化する仕事を、いつも、やっていれば、うっかりすると、自らがたずさわっている仕事を、唯一無比に大切な仕事のように錯覚する勘違いが起こりやすい。 たとえば、データベース設計のモデル作りにたずさわっていると、あたかも、データベースが、システム作りの中核であるかのような勘違いを生みやすい。しかし、システムには、数々の組成項目があり、そのシステムを作るために設置されたプロジェクトにも、数々の組成項目があります。つまり、システムもプロジェクトも、数多くのパラメータ (変項) をふくんでいる、ということです。したがって、データベース設計のモデルは、数多くのパラメータのなかの、1つのパラメータにすぎない。 だれかが、自らの関与している技術を、(数多くある技術のなかで、) 「最高の技術である」というふうに、自慢しても、害のない自惚れとして、僕は聞き流してしまいますが、たまに、そういう自惚れが、つよい思い込みにまで助長して、ほかの技術を見下げる「対比意識」を、露骨に示す人たちを観ることがあります。そういう人たちは、科学とか法則とか技術という概念を、ほんとうに理解してはいないのでしょうね。
技術の歴史では、新しい技術は、古い技術が実現した諸点を実現して、かつ、古い技術が実現できなかった点や古い技術の欠点を直すようにして、提示されます。法則も技術も、時代のなかで提示され、時代のなかで改良されるので、(いちぶの天才的な理論を除いて、) おおかたの技術は、時代性を超えることはできない。 (10年前なら、複数の技術を、そうとうに高い程度として、習得できたのですが、) 時代が進むにつれて、技術の中身が、高度になって、1つの技術を習得するのが精一杯であるような状態になってきました。そういう状態になれば、専門領域が、ますます、こまかくなって、データベース・パラダイムという領域のなかでも、或る専門領域にたずさわるエンジニアは、他の専門領域のなかで使われている概念・技術を理解できない、という事態になっています。そうすれば、ますます、自らの専門技術を信頼するしかない。下手をすれば、自らの専門技術に固守してしまう。 コミニュケーションというのは、1つの「文法」が共有されていなければ成立しない。また、他の技術を理解するためには、自らの技術を対比しなければならない。言い換えれば、数々の・様々な専門領域のなかで、家族的類似性を示す概念がなければ、コミニュケーションが成立しない、ということです。 コミニュケーションを円滑にするために、多量のドキュメントを作成しても、もし、ドキュメントが、それぞれの専門領域の観点しか述べていないのであれば、オブジェクト指向のプログラマは、いつまでも、データ指向の設計を理解できないでしょうし、データ指向のデータ設計にたずさわる人たちは、いつまでも、オブジェクト指向のプログラマの考えかたを理解できないでしょうね。なぜなら、それぞれが立脚点にしている思考様式が、まったく違うから。2種類の「異質な文化圏 (生活様式)」といってもいいでしょうね。 自らの技術が立脚点にしている思考様式を「最高の」やりかたである、と思い込んで、他の技術も、それに従うことが当然である、と勘違いしたり、自らの思考と反れる技術を無視したりすることは、エンジニアとして、落第でしょうね。 2つの文化圏を「翻訳」するという作業では、そうとうに高度な力がなければならない。データ指向の設計に、かって、たずさわっていて、それから、オブジェクト指向の仕事をしていることが、かならずしも、正しい「翻訳」ができることにはならない。あるいは、データ指向を、オブジェクト指向の観点に立って、「歪曲」して語ることも、正しい「翻訳」ではない。
さて、データ指向とオブジェクト指向を、正しく「翻訳」できる人がいない--「それらしきこと」をしゃべる人たちは、数人いるようですが(苦笑)--、という点が、データベース・パラダイムとプログラミング・パラダイムのあいだに、混迷を生んでいるようです。 専門領域が、こまかくなるにつれて、それぞれの観点に立って、多量のドキュメントを作成して、おたがいに、理解しようとしても、たがいに、理解ができないまま、いかに、ちがう世界に住んでいるのか、という点を痛感するだけでしょうね。さて、システム作りでも、「専門技術として」、翻訳家を育成することも考えなければならないのかもしれない。
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