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おそらく、彼は、--僕の単なる想像にすぎないのですが--、「構文論として、1つの公理形を作る(「構造」として、無矛盾性と完全性を実現する)」ことしか考えていなかったのではないでしょうか。そして、「意味」は、「構造」のなかで、制約条件として記述できる、と考えたのではないでしょうか。 僕は、DOA+コンソーシアムの設立記念講演のなかで、以下のように述べました。
コッド関係モデルは、「氷で作られた宮殿のように、美しい。」 この「摩擦」が、いったい、どうして起こるのか、という点を、僕は、非常に気にしていました。そして、そのあとで、僕が、はっきりと、意識した点が、「意味論」と「構文論」との兼ね合いだったのです。 コッド関係モデルは、あきらかに、「構文論」を主体にして作られています--そして、「意味」は、制約条件として記述されています。 「構文論」では、たとえば、null値は、(空集合として、) 「成立しない」という1つの意味しかないのですが、「意味論」では、「unknown と undefined」という2つの意味として「多義」になってしまいます。 コッド氏は、1986年と 1987年に、(DATAMATION 誌のなかで、) 「SQL の致命的な欠点 3つ」 という論文を記載したのですが、null値を扱うことができない (IBM 社の) SQL は ダメ だ、と非難しています。そして、null 値を扱うために、かれは、4 値論理を使っています。なぜなら、null は、意味論上、「undefined と unknown」 という 2つの意味 (多義) をもつから。 また、「関係の論理」と集合論を使えば、データは、「かならず」、「並び」を配慮しなければならないのですが、彼は、論文のなかで、「並びは半順序になるので、関数 (リレーション) という用語ではなくて、関連 (リレーションシップ) という用語を使っても良い」と記述しています。 僕は、当時、(コッド氏の影響下にあって、)「モデルは、構文論であるべきであって、意味論など、数理モデルでは、対象外だ」と思いこんでいました。
ホワイトヘッド氏は、(自然現象を対象にしたとき、) モノを以下のように示しました。
(1) は、たとえば、山だとか岩だとか、あるいは、人間でいえば、「魂」とか。 数学では、「term」も、(変項 a、b、c、、、として、) アルファベット順に並べることができるので、究極的には、「並べることができる」のですが、変項 a、b、c、、、は、事物の性質--「持続する現実的な事物」と「生起する現実的な事物」--を記述している訳じゃない。
コッド関係モデルの「関数」を、現実の世界のなかで適用できるようにするために、僕は、T字形として、「resource」概念と「event」概念を導入して、「関数」を捨てました。 関係モデルの「関係」を、いくら、検討しても、事物の性質を判断できる訳じゃないし、事物の「性質」を、いくら、検討しても、「関係」を判断できる訳じゃない。 関係を主体にしながら、「構文論」を前提にして、事物の性質を記述すれば、「数理モデル」としたら、コッド関係モデルは、最良のモデルでしょうね。ただし、「意味」を、制約条件として記述せざるを得ない。もし、コッド氏が、「意味論」を配慮したら、関係モデルを捨てなければならなかったでしょう。なぜなら、そうしたのが、T字形ER手法だから。
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