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So many countries, so many customs.

 
「意味論」と「構文論」では、「性質」に対する考えかたが違うようです。
「性質」には、どうも、以下の2つ、あるようです。

 (1) 外的性質
 (2) 内的性質

 「外的性質」というのは、「集合を作るために使った判断規準(述語)」であり、「内的性質」というのは、「事物そのものに帰属する自然的な性質」である、と言っていいでしょうね。

 (1) は、「論理モデル (構文論)」のなかで使われているようですし、(2) は、「概念モデル (意味論)」のなかで使われているようです。おそらく、この2つの違いが、「概念モデル」と「論理モデル」との大きな違いの1つになっているようです。
 たとえば、以下の2つの集合を考えてみます。

 (1) 入社した人
 (2) 従業員

 集合論では、以下のように考えます。

   入社した人 (x) ⇒ 従業員( y)

 「入社した人」ならば、「従業員」である、という意味です。おそらく、(1) と (2) の集合は、外的性質が同じで、濃度も同じで、しかも、メンバーも同じかもしれない。とすれば、「入社した人」と「従業員」は、同じ外延 (定義域) を指示するので、「同じ」集合とみなして、「従業員」のなかに「入社日」を帰属しても整合的である、ということになります。コッド関係モデルは、おそらく、そのように考えているはずです。

     R{従業員番号、...入社日、...}.

 いっぽう、たとえば、チェンER手法では、以下のようになるでしょう。

     従業員{従業員番号、...}----{入社日、...}----?

 入社日は、「入社」という「関連型」entity のなかで記述されるでしょう。

 
 僕は、どちらの考えかたが良いのか、判断するつもりはないのですが--なぜなら、どちらも、それぞれの前提から導出されて妥当ですから--、どうも、「意味論」と「構文論」のあいだでは、「性質」に関して、考えかたが違うようです。

 
 (2004年11月23日)

 

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