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You kill the tree by trying to straighten its branches.

 
 小生は、1泊くらいの短い出張であれば、パソコンを携帯しないで、ワープロ専用機 (シャープ社製「書院」MobileShoin WM-C100) を携帯することが多い。WM-C100 は、B5版くらいの大きさなので、携帯用として手軽だし、増設バッテリーも脱着できる--(AC電源を使えるのは当然として、) 携帯時、本体機の電源は乾電池 (単3×4本) だし、増設バッテリも乾電池 (単2×4本)である--したがって、電源は、駅のキオスクや、街なかのコンビニエンス・ストアで、いつでも、購入できる。

 1泊くらいの短い出張であれば、(出張中、ウェッブを、じっくりと、サーフする余裕が、ほとんど、ないので、ウェッブを閲覧しないし、) メールの やりとり --インターネットのEメール--さえできれば良いので、小型の (持ち運びやすい) ワープロ専用機があれば、事足りる。

 ウェッブを閲覧しなければならないときでも、WM-C100 には、簡単インターネットが搭載されていて、PIAFS (P-in、64K) を使って、ウェッブにアクセスできる。僕は、自らのホームページのなかに、WM-C100 用の (ウェッブ) ページを用意して、出張中、WM-C100 上で、 サーチ・エンジンを使っている。

 Java (JavaScript) や FLASH を多用したページは、ワープロ専用機では、表示できないけれど、(HTML と基本的な JavaScript で作られたページであれば、) ほとんどのページをアクセスすることができる。さらに、WM-C100 は、画像や広告を排除できるので、画像や広告を排除してしまえば、PIAFS を使っているかぎりでは、ダウンロードのパフォーマンスが、パソコンに比べて、悪いということを感じない。WM-C100 では、DOS テキスト (.txt)を使うことができ、画像 (jpeg、bmp) も扱うことができるので、パソコンと互換性がある。

 パソコンの電源を充電できない状態では--たとえば、10時間以上、外出して、充電できないとか--、乾電池を電源とするワープロ専用機は、非常に役立つ。

 
 さて、出張中、小生がワープロ専用機を使っていたら、(小生がSEであることを知らない) 或る人が、以下のように言いました。以下は、小生と、その人との会話です。

 某氏 「いまどき、ワープロ機を使っているのですかあ。パソコンを使わないのですか。」
 小生 「ええ、パソコンは、50歳を超えたオジサンには、むずかしいので、、、。」

 
 「僕がパソコンを知らない」と判断した件 (くだん) の人は、僕を見下げたようにして、ワープロ専用機が、いかに、時代おくれであるか、ということや、パソコンを使えないようでは、いまの時代では、情報入手が損になることや、さらに、彼が、どれほど、パソコンを巧みに使っているか、ということを、朗々と述べ立てました。
 ちなみに、僕は、SEであることを、全然、言わなかったし、僕がSEであることを、彼は、いまでも、知らない (と思う)。

 パソコンとか英語に関して、どうも、我々は、過多な反応をするようですね。
 去る1月、I さんとHさんといっしょに飲んだとき、以上の話をしたら、Hさん曰く、

 「それは、マサミさん、罪作りですよ。そういう対応は良くないなあ。」

 Hさんに たしなめられて、僕は、芥川龍之介の ことば を思い出しました。以下に、芥川龍之介の ことば を引用します--少々、長い引用になるのですが、なかなか、示唆に富んだ話なので、読んでみてください。

 
 貝原益軒

  わたしはやはり小學時代に貝原益軒の逸事を學んだ。益軒は嘗て乘合船の中に一人の書生と一しょになつた。書生は才力に誇つてゐたと見え、滔々と古今の學藝を論じた。が、益軒は一言も加へず、静かに傾聽するばかりだつた。その内に船は岸に泊した。船中の客は別れるのに臨んで姓名を告げるのを例としてゐた。書生は始めて益軒を知り、この一代の大儒の前に忸怩として先刻の無禮を謝した。--かう云ふ逸事を學んだのである。
  當時のわたしはこの逸事の中に謙讓の美德を發見した。少くとも發見する爲に努力したことは事實である。しかし今は不幸にも寸毫の敎訓さへ發見出來ない。この逸事の今のわたしにも多少の興味を與へるは僅かに下のやうに考へるからである。--
  一 無言に終始した益軒の侮蔑は如何に辛辣を極めてゐたか!
  二 書生の恥ぢるのを欣んだ同船の客の喝采は如何に俗惡を極めてゐたか!
  三 益軒の知らぬ新時代の精神は年少の書生の放論の中にも如何に溌溂と鼓動して
    ゐたか!

             (芥川龍之介、「侏儒の言葉」、文藝春秋社出版部、昭和2年)

 
 (2005年 2月 8日)

 

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