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It is ill to drive black hogs in the dark.

 
 「モデル」そのものを作っているエンジニアが、システムを実地に作っているエンジニアたちといっしょに話しているときに、往々にして、「ひけめ」を感じているのを、小生は観ることがあります。逆に、システム作りに従事しているエンジニアたちは、「モデル」作りに従事しているエンジニアに対して、「妙な」優越感を抱いていて、(「モデル」作りのエンジニアが言うことに対して、)意見が相違したら、意見の相違を丁寧に検討することもしないで、足下に、「それは、現実的ではない」という的外れなことを言うのを、小生は観てきました。まるで、こどもが、駄々を こねているみたいですね(苦笑)。

 「モデル」を、実地のシステム作りのなかで、いかにして適用するか、という点を考える役割は、システムを実地に作るエンジニアたち(practitioners)が負うべきだ、と小生は思います。「モデル」を作るエンジニアは、実地のシステム作りに従事していないので、「『モデル』を実用的に適用するための調整」を考えることは、そもそも、できない。逆に言えば、実地のシステム作りに従事しているエンジニアたち(practitioners)は、自らのシステム作りを、さらに、効果的・効率的に実現するために、つねに、「モデル」に対して関心を払っていなければならない、ということになります。

 システム作りに従事していることが、そのまま、practiotioners ということにはならないでしょうね。もし、「システムを、実際に作っている」ということが、なんらかの優越感を生むのであれば、それは歪(いびつ)な「保身術」にすぎないでしょうね。
 健全な practitioners は、「モデル」を、正確に理解して、技術的観点や制度的観点に立って検討して、実地に適用しながら、改良するのが役割のはずです。自らの技術力を、もっと、高めて、自らの仕事の品質を向上するのなら、「現場でやっている」などという前提(職業が成立するための前提)を、職業のなかで使う技術の強みとして、楯にはしない。

 (「モデル」を、皆目、検証していないにもかかわらず、) 「それは現実的ではない」 とか 「それは屁理屈にすぎない」と言い切る (自惚れた) エンジニアたちは、practitioners としての自覚・役割を忘れているのではないでしょうか、、、「それは現実的ではない」 とか 「それは屁理屈にすぎない」 という言いかたを、正しく言い直すなら、「わたしは、それを検討したことがない。というのは、それは、わたしには関係ないから。 (I'm not part of it. I'm not involved.)」 とか 「わたちは、それを検討したことがない。というのは、それは、わたしの関心事ではない。 (It's not the center of my attention. I'm not fired up about it.)」 というふうに言うべきでしょうね。

 
 (2005年 4月23日)

 

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