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Today's is yesterday's pupil.

 
 かって (2003年10月13日)、1つの体系は、以下に示す3つの観点から検討すれば理解しやすいことを述べました。

 (1) 制度的な構造
 (2) 理論的な構造
 (3) 技術的な構造

 以上の3点は、「今」という時点での検討なので、さらに、歴史的変化も考慮したほうがいいでしょうね。これも、かって、述べましたが、1つの技術は、いきなり、無のなかから出現するのではなくて、先行する技術を賛同して改良したり、あるいは、先行する技術に対して反対 (アンチ・テーゼ) の観点から提示されます。

 コンピュータが事業過程のなかで積極的に使われるようになった1970年代を起点にして、たとえば、自らが専攻している仕事を中核にして、いまに至るまでの技術的流れを検討しれみれば、「どのような論点が提示されて、それに対するソリューションとして、どのような技術が作られ、いっぽうで、どのような点が pending になってきたのか」という点を理解できるでしょう。

 コンピュータが事業過程のなかで積極的に使われるようになって、もう、35年以上の年数が過ぎました。したがって、それほどの年数が過ぎたので、事業過程のなかで使われてきたコンピュータ技術に関して、「通説」と云われる「まとめ」が、もう、出てきても良い時期だ、と思うのですが、なかなか、出てこないですね。

 コンピュータ技術の進歩が非常に速いので、次々と、新しい技術に取り組まなければならない事態が現状なのですが、往々にして、自らの専門領域のほかのことを、ほとんど、知らない--しかも、専門領域でも、技術が多様になってきて、自らが関与している技術しか知らない--というのが現状のようです。
 そういう現状が良いのか悪いのか、という点を、ぼくは判断するほどの知識はないのですが、少なくとも、実証を立脚点にした技術が、次第に、詳細になって、終いには、末梢的になって、自家中毒を患う あやうさ があるかもしれない、と思っています。

 そういう袋小路に入り込んだとき、天才的な人が、dead-end を打破する「break-through」的着想を提示するのかもしれないですね。ただ、われわれ凡人は、袋小路のほうに、次第に、向かっているという不安を感じながらも、なかなか、対応を考えることができないで、ズルズルと、深みにはまり込んでいるように思っているのは、ぼく一人ではない、と思うのですが、、、。

 そういう状態に陥ったとき、(対応を考えても、なかなか、出てこないので、) 「(仕事をはじめた、あるいは、技術を使うようになった) 起点に戻って、自らの歩みを振り返ってみる」 という やりかた が役立つかもしれない。自らの歩みを、歴史的に振り返る際、参照知識として、「通説」があれば、役立つでしょう。
 「思えば、遠くにきたもんだなあ」と思うか、それとも、(自らの技術に囚われてしまって) 「マーケットの変化と乖離してしまっている」と感じるか、、、いずれにしても、「通説」は、参照項として、役立つでしょうね。

 さて、そういう「通説」の書物が出てこないのであれば--本来なら、大学の教養課程のなかで、「情報科学」の基礎講義として、そういう「通説」が教えられていて然るべきだと思うのですが--、小生が執筆しようかなあ、とも考えています。そういう書物は役立つ、と小生は思っているのですが、もし、そうそう、期待されていないのであれば、小生の (弊社の) ホームページのなかで、いずれ、連載しよう、と思っています。温故知新。

 
 (2005年 5月16日)

 

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