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数理モデルを作る やりかた には、たぶん、以下の2つがある、と思う。
(1) 事実的対象そのもの-の構造を、数理モデルとして、記述する。 個々の現象を、多数、観察して、汎用的なモデル (構造) を作る訳でもない。というのは、もし、そうだとすれば、いくつの現象を観察すれば、汎用化できるのか、という疑義が遺る。たしかに、いくつかの現象のなかに「類似性」があることを感知するためには、いくつかの現象を観察していなければならないけれど、いくつかの現象のなかに「類似性」があることを、いったん、感知したら、数理モデルは、当初から、「全称 (すべての現象に対して適用できる)」モデルとして作られるはずである。
言い換えれば、個々の事象を、いくつか (多数)、集めて、全称化するのではない。全称は、存在化・特称化できるが、その逆は真ではない--「すべて」に適用できれば、「いくつか」にも適用できるが、「いくつか」に適用できても、「すべて」に適用できる訳ではない。 [ 全称の単称化 ] ∀xP(x) ⇒ P(x1). (すべてに適用できるなら、1つにも適用できる。) [ 全称の存在化 ] ∀xP(x) ⇒ ∃xP(x). (すべてに適用できるなら、いくつかにも適用できる。) いっぽう、事業過程を対象にすれば、「構造そのものを数理モデルとして記述する」ことができるかどうか、という点が論点になる。それは、おそらく、無理であろう。というのは、たとえば、「出荷」と「請求」という2つの事態を考えてみても、「出荷⇒請求」という関係も成立するし、「請求⇒出荷」という関係も成立するので、事業過程のなかで起こる様々な事態を対象にして、汎用的な構造を示すことはできない、と思う。 とすれば、もし、事業過程を対象にして、「科学的な」モデルを作るのであれば、「事実的対象を記述する手法を、数理モデル (あるいは、論理的モデル) として、記述する」ほかにはないのではないか。すなわち、「構造」が、「個体と関係」として記述されるなら、(構造そのものを数理モデルとして記述できないので、) 「個体」を記述する論理的手続きと、「関係」を記述する論理的手続きを示すほかにはないのではないか。そして、コッド氏 (Codd, E. F.) は、この2点--個体の論理的記述と関係の論理的記述--を、それぞれ、関数従属性と包摂従属性を使って、的確に示した。 TMは、「関係」を関数として記述することを拒否したが、それでも、「関係」の論理的記述を実現するために、ほかの やりかた を使っている。TMは、コッド関係モデルに対して、「null の除去と、関係の対称性・非対称性」を適用して、コッド関係モデルを起点にしながらも、べつの体系になった。TMは、コッド関係モデルを起点にして、関係を関数としないで、論理的関係として、「4つの規約」を導入したので、関係モデルを基底にしている、と小生は思っていたが、ひょっとしたら、TMは、関係主義を基底にしているのではなくて、実体主義--ただし、形而上学的な「実体」を実存としてみなす実体主義 (プラトン主義) ではない点に注意されたい--に傾いているのかもしれない。 いずれにしても、モデルが、科学的であるためには、「個体と関係」を記述する やりかた として、なんらかの論理的手続き (アルゴリズム) を示さなければならない。
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