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Evil gotten, evil spent.

 

 剽窃や盗作は、知的産業では、「下衆(げす)い」 行為の1つです--犯罪です。盗作は、或る人の作った作品を (文芸作品のみではなくて、論文や書物や ソフトウェア などもふくみますが)、承諾を得ないで、みずからが作った作品として発表することですから、盗作しているかどうか という点は、「原本」 が提示されたならば、すぐに露呈します。

 ぼくは、かって、10数ヘ゜ーシ゛ に及んで、盗作されたことがあります。或る人 (S氏) が、拙著のなかから、10数ヘ゜ーシ゛ を 「そのまま」 複写して、書物を出版しました。ぼくは、盗作されていることを知らなかったのですが、ほかの人 (K氏) が、その事実を教えてくださったので、 当然ながら、ぼくは、その出版社に抗議して、彼の著作の回収を訴えました。出版社 (D社) は、その書物を、すべて、回収して、ぼくに謝罪しました。

 書物は、或る知識・技術を公にして、多くの人たちに知ってもらうことを目的にしていますから、もし、「引用」 するのであれば、出典を明記していれば良いのですが、最近の風潮では、「引用」 する際、原本の著者・出版社に対して、かならず、確認することが慣例となっています。

 たとえば、拙著 「論理テ゛ータヘ゛ース論考」の扉ヘ゜ーシ゛ のなかに 「引用」 した ウィトケ゛ンシュタイン氏の ことば は、翻訳本 (板坂 元 氏の訳) のなかから、長い引用をしたので、(ぼくの書物を出版してくださった SRC 社は、) 原本の出版社である 平凡社に確認して、承諾を得て、拙著を、1冊、献本しています。また、「通説」 になっている入門的知識であっても、ぼくは、「論理テ゛ータヘ゛ース論考」 のなかで、底本 (ぼくが読んで知識を整理した書物) を、逐一、明示しています。
 そういう配慮を払うのは、著者の originality に対する敬意を示すためです。

 著作権法は、「盗作」 を犯罪として禁止していますが、「盗作してはいけない」 という法的条項の前提には、「盗作しない」 とか 「盗作できない」 という ethics があるはずです。そして、その ethics は、著者の originality に対する敬意から生まれてきます。

 そういうふうに考えたときに、「盗作」 ではないけれど、原本の 「着想・考えかた」 を流用して、文体を変えた記述が論点になります。たぶん、こういう 行為 は、著作権法には抵触しないでしょう。もし、そういう 行為 であっても、原本の著者に対する敬意があれば、原本の著者に言及して--原本の著者を明示して--、謝意を示すはずです。それが、知的産業に従事している人たちが守る ethics としての 「originality に対する敬意」 です。

 たとえば、TMが使っているT字形表記は、簿記の T-account を流用しましたが、その表記は、データ構造を記述する際に、originality を盛り込んでいます。というのは、T字形表記の左側では、「(entity の) 認知」 と 「文法 (構文論の演算を示すルール)」 を配慮した記法になっています。TMの文法を無視して、T字形記法を真似されたら、T字形記法の価値が消えてしまいます。認知および演算は、「性質 (アトリヒ゛ュート)」 と切り離して--しかも、認知番号に対して、「性質 (アトリヒ゛ュート)」 が、いかなる状態であっても、「真」 を示すように--、T字形記法を使ったのであって、単純に 「見やすさ」 のために使った訳ではない。

 T字形記法を流用して--しかも、(「TMを見本にした」 ことを言及しないで、) TMの文法を無視して--データ構造を設計している人物 (2人) がいることを、或る人が、ぼくに教えてくれました。T字形表記を流用した2人は、以前から、T字形ER手法の存在を知っている人たちです。ぼくが 「下衆(げす)い」 人物として軽蔑する輩は、こういう (ethics のない) 奴らです。

 
 (2005年 9月 1日)

 

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