前回の 「反 コンヒ゜ュータ 的断章」 では、「思考」 は 「思うこと」 と 「考えること」 から構成される複合概念であり、「思うこと」 は 「対象指向 (what-oriented)」 であり、「考えること」 は 「過程指向 (how-oriented)」 であり、「思考」 には、これらの 2つが混成されていて、どちらか いっぽうが成立するような 排他的関係にはない、ということを綴りました。
これらの性質は、言語使用にも、示されているようです。すなわち、結果としての 「-ed」(完了形) と、過程としての 「-ing」(進行形) という言語使用が、それらの思考を示しているようです。
コンヒ゜ュータ・フ゜ロク゛ラム は、「芸術的作品」 か、それとも、「エンシ゛ニアリンク゛ 的 フ゜ロタ゛クト」 か、というふうに、改めて問われたら、どちらなのか 判断するのが難しいのですが、フ゜ロク゛ラミンク゛ の結果 (「-ed」) としての フ゜ロク゛ラム は 「エンシ゛ニアリンク゛ 的 フ゜ロタ゛クト」 でしょうし、フ゜ロク゛ラミンク゛ の過程 (「-ing」) そのものは 「作品を作る芸術的活動」 でしょうね。
こういう現象は、コンヒ゜ュータ・フ゜ロク゛ラム に限ったことではないし、数学の 「定理」 も、そうでしょうね。
数学では、対象を 「変項」 として扱い、過程を 「アルコ゛リス゛ム」 として扱いますが、過程を対象化する--変項にする--ことも、当然ながら、できます。なにを対象にするか、という点は、任意ですし、逆に言えば、対象を認識するというのは、ことさように、難しい。
したがって、複数の人たちが、1つの アルコ゛リス゛ム を使うのなら、なにが対象になっているか、という点は 「同意」 されていなければならない--数学的に言えば、対象として扱われる セット (および、その メンハ゛ー) が、対象として、「同意」 されていなければならない。「思うこと」 が、複数の人たちのあいだで、「同意」 されるのは、きわめて、難しい。
テ゛ータヘ゛ース 設計では、その 「同意」 を担保する手段が 「コート゛ 体系」 です。テ゛ータ に対して付与された コート゛ は、「アルコ゛リス゛ム」 を効率的に実行する手段のみではない--それは、事業のなかで、「対象を同意する」 ために導入された コート゛ です。この点に対して、システム・エンシ゛ニア は、もっと、注意を払ってほしい、と思います。
テ゛ータ 構造を ハ゜ターン 化することが、フ゜ロク゛ラム の アルコ゛リス゛ム を ハ゜ターン 化することに比べて、難しい理由は、この 「(認知の) 同意」 という行為が関与するからです。
たとえば、単純な例として、従業員に関する テ゛ータ を考えてみても、以下の構造に対して、(その テ゛ータ を扱う人たちのすべての) 「同意」 を得ることは、難しいでしょう。
{従業員番号、従業員名称、...、入社日}.
関数従属性を (テ゛ータ 構造を作るための判断規準にすれば、) 上述した構造は正しい。ただ、「入社」 という 「できごと」 に関与して 「入社した (結果としての入社)」 人が 「従業員」 である、というふうに考えれば、「入社」 という 「できごと」 と、それに関与した人たち (「従業員」) は、それぞれ、べつの対象になる、ということも言えるでしょう。
以下に示す 2つの テ゛ータ 構造は、当然ながら、「意味」 が相違します。
(1) {従業員番号、従業員名称、...、入社日}.
(2) {従業員番号、従業員名称、...}. {従業員番号 (R)、入社日}.
(R) は、ここでは、「参照 キー」ではない点に注意してください。もし、(R) が 「参照 キー」 であるならば、同一 キー 構成の テ゛ータ は、統合しなければならない (最適化)。この (R) は、意味論的な認知を問う手段として使われているのです。つまり、「みなし」 概念として使われています。
もし、「入社」 が、対象として認知されて 「同意」 されているのであれば、なんらかの認知番号が付与されるでしょう。たとえば、「入社」 の式典を対象化して、式典の中身を記録して、それを、後々、再利用するのであれば、(「入社」 の) 式典に対して、認知番号を付与しているでしょう。そして、その認知番号は、(「入社」 の)式典に関する情報を使う人たちのあいだで 「同意」 されていなければならないでしょう。通年入社制を導入して、1年のあいだに、2回以上の 「入社」 があれば、(「入社」 の) 式典に対して認知番号を付与するのは、なおさらのことでしょう。あるいは、もし、「入社」 の式典を担当する イヘ゛ント 制作会社であれば、「(入社の) 式典」 を 「商品」 として考えて、認知番号を付与しているでしょう。
「Entity (対象) というのは、どんな企業であっても、ほぼ、同じ数になって、30個 から 50個 くらいである」 などという--30個とか 50個という具体的な数値を提示して、あたかも、「科学的」 な装いをしているけれど--、おおざっぱな思い込みであって、「認知」 という行為を無視 (あるいは、軽視) しています。テ゛ータ の認知は、そんな単純な作業じゃない。
意味論という学問領域が成立しているのは、ちゃんとした理由があるのです。「Entity 30個」 説を唱えている人たち (および、それを盲信している人たち) は、認知科学を学習してください。ちなみに、「entity 30個」 説を唱えた人は--ER 手法の「生みの親」たる Chen P. 氏ではなくて、ほかの人なのですが--、entity を定義していない (苦笑)
ちなみに、ER 手法の生みの親である チェン 氏も、entity を、例示しているけれど、定義していない。
(2005年10月16日)