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All meant pleasures not all mouths.

 

 私は、職業として、以下の 2つを 「兼務」 しています。

 (1) 情報 システム・コンサルタント
 (2) テ゛ータヘ゛ース・エンシ゛ニア

 
 「兼務」 と言ったように、この 2つの仕事は、目的が、はなはだ、相違します。

 システム は事業戦略を実現するための手段なので、システム の 「質」 は、エント゛ユーサ゛ が理解した点が上限です。だから、コンサルタント は、選択された案 (企画) が、どの程度の 「質」 で実現されるのかという点を注意深く見守って、コンサルテーション の際には、導入される技術・手法を ユーサ゛ の理解度に合わて指導をします。

 かりに、もし、2つの企業 (ユーサ゛) が、同じ資源構成を導入したとしても、コンサルタント の指導は、当然ながら、それぞれ、違います。もし、同じ指導が成立するのなら、一般手続きとして指導を記述した マニュアル さえあれば良いので、コンサルタント などという仕事は無用でしょう。コンサルタント が仕事の対象としているのは、技術ではなくて--当然ながら、ユーサ゛ が導入する技術を知り尽くしていなければならないのですが、さらに--、ユーサ゛ そのものです。コンサルタント は、ユーサ゛ が目的を実現できるように、catalyst として作用するのが職責です。

 そういう事態なので、コンサルタント になるための教育というのは、技術の伝授のみではないので、一般手続きとして示すことができない。そして、そういう事態を称して、「コンサルタント になるためには、『人間』 を知っていなければならない」 という言いかたが、世間では、されているのでしょうね。ちなみに、私は、そういう言いかたを毛嫌いしています。というのは、「人間を知る」 という言いかたには、そう言っている人の 「自惚れ」 を感じるから。「人間を知る」 というのは、少なくとも、哲学・文学の書物として最初に記述されたときから今に至るまで、そうそうたる天才たちが 「人間の様態・本性」 に取り組んできて、1つの ソリューション も提示されなかった論点だから。

 いっぽう、エンシ゛ニア は、「みずからが体得している技術を最高度に駆使する」 ことを目的にしています。たとえば、私は テ゛ータヘ゛ース・エンシ゛ニア なので、ユーサ゛ が使っている テ゛ータヘ゛ース の性能・特徴を最高度に具体化できるように、私の技術を駆使します。みずからの技術を駆使して、ほかの エンシ゛ニア が実現できないことを、実現したときには、「どうだ、参ったか。これが マサミ だ。」 という自負心・誇りを感じます。

 以上に述べてきたように、コンサルタント と エンシ゛ニア では、仕事の目的が、はなはだ、相違します。そして、私は、往々にして、そのあいだに立って苦しみます。
 情報 システム・コンサルタント と テ゛ータヘ゛ース・エンシ゛ニア の折衷として、テ゛ータヘ゛ース・コンサルタント という肩書きを使うことがあるのですが、はたして、コンサルタント として振る舞えば良いのか、それとも、エンシ゛ニア として振る舞えは良いのかと判断し難い事態が、実地の システム 作りでは、多々、起こります。
 そして、どちらの職責を全うするかという点を、私は、やはり、ユーサ゛ の反応を観て判断します--良い意味でも悪い意味でも。

 
 (2005年12月23日)

 

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