TM (T字形 ER手法) を改良するために、一日中、机に向かって、思考を集中していると、疲労困憊しますし、ときには、机に向こうという気力の起こらない日々が続きます。そういう状態になったとき、もし、机に向かうことを止めたら、私の頭のなかで、朧気に蠢いているけれど、はっきりとした形になっていない 「怪物」 は、消え去ってしまい、再び現れないでしょう--つまり、私は、生まれいづる 「着想」 を捨ててしまうことになります。
精神の疲労を癒すためには、いったん、集中している対象から離れて、ほかのことをやって気分転換すれば良いというふうに云われていますが、機械的な・単調な仕事のなかで感じる疲れに対しては、そういう気分転換は役立つでしょうが、頭を使った仕事では、「着想」 という 「怪物」 を相手にしているので、その 「怪物」 が生まれる感触を得ているならば、気分転換しないほうが良いでしょう。そうかと言って、「怪物」 が直ちに生まれる訳でもない。
やる気が起こらないときでも、机に向かうのが良いようです。そういうときには、以前に綴った文を読み返して推敲したり、以前に読んだ書物を読み返してみるのが良いようです。私は、文を綴りながら考える性質なので、たいがい、ホームヘ゜ーシ゛ の新しい ヘ゜ーシ゛ を作成しながら考えるようにしています。
哲学者 キ゛ットン 氏 (Guitton J.) は、以下の美しい文を綴っています。
彼らが 「待つ」 ことを知っていたら、彼らの主題は精神の中でおのずから徐々に
構成されていくであろうし、その主題をぼやけさせているものからひとりでに抜け
出して樹木のように成長するであろうのに。...画家が カンハ゛ス を深めるのは構成に
よってである。構成のない芸術作品は、表面 (うわべ) の美しさしかあらわせない
であろう。
聖書 (the Bible) には、以下の文が綴られています。
私は眠っていた。しかし、私の心は目覚めていた。
疲れて、やる気の起こらないときでも、仕事の 「渦中にいる」 ということが大切でしょうね。やる気が起こらないときでも、つねに、対象と接していることが大切でしょうね。私は、みずからを戒めて、この文を綴りました (苦笑)。
(2006年 5月 1日)