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You may know by a handful the whole sack.

 

 哲学者 ギットン 氏は、以下の美しい文を綴っています(参考)

   「いったん高く昇ってから ふたたび降りる」

 この ことば は、ギットン 氏が 「職業」 について語ったときに使っていたのですが--たとえば、大佐が軍曹に、技師が職工長にというふうに--、もっと、一般化して、「概念と事実」 の関係についても適用できるでしょうね。

 データ設計法 (modeling) を作る仕事は、実 データ を現実的対象として、それに対して 「構造」 を与える法 (公理系) を作って、いったん作った公理系に対して、反対例・反証がないかどうかを つねに検証するように、「いったん高く昇ってから ふたたび降りる」 反覆作業です。

 たとえば、モデルに対して充足を確認できないような事実が出たら、その事実を丁寧に吟味して、モデルが どのように対応できるのか--モデルが対応できないのであれば、モデルを改良しなければならないことも起こるのですが--を検討しなければならない。その検討には、そうとうな思考力を注ぐことになるのですが、うっかりすると、その1つの事実に対してのみ集中してしまい、公理系の無矛盾性・完全性を疎かにしてしまう罠に陥りやすい。もし、その事実が一時的な例外的事象であることが明らかになれば、そういうことも起こり得るという注記のみを記して、公理系を変更しなくても良いのですが、その例外的事象が反復して起こるのであれば、モデルを変更しなければならないし、モデルの変更は、無矛盾性・完全性を破ってはいけない。モデルを作って、つねに、その有効性を検証するというのは、ことさように、難しい仕事なのです。モデルが公理系として無矛盾性・完全性を大切にする理由は、以下の点を担保するためです。

 (1) モデルの対象領域のなかで起こる どのような事象にも対応できる。
 (2) モデルの対象領域のなかであれば、モデルを使っていて破綻しない。
 (3) だれでも使うことができる。

 公理系 (の無矛盾性・完全性) は、一種の security であると云っても良いでしょうね。したがって、モデルの対象領域 (domain、universe) のなかで起こる現象に対して、現象が起こるたびに、どのように対応すれば良いかを考えるような一過性の対応だとか、「構造」 の作りかたに一貫性がないとか、一人あるいは数人のスーパー・エンジニアでなければ使うことができないというのでは、モデルに値しないでしょうね。

 ところが、例外的事象に集中していると、往々にして、モデルの原点を忘れがちになってしまいます。その例外的事象の理由・対応を なんとか説明できるようになったとしても、「構造」 のなかで 「全体と個」 を説明できないという事態に陥れば、その例外的事象は、明らかに、例外であるか、あるいは、モデルを拡張しなければならない--当然ながら、モデルを拡張しても、モデルは無矛盾性・完全性を維持していなければならない。

 そういう作業を反覆するためには、モデルはモデルでなければならない。言い換えれば、無矛盾性・完全性を つねに検証できる公理系でなければならない。単なる作図作法では、そういうことはできないでしょうね。

 
(参考) 「読書・思索・文章」、ギットン 著、安井源治 訳、中央出版社、30 ページ。

 
 (2006年 5月 8日)

 

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