ものごとを判断するということは、みずからの FOR (Frame Of Reference、知識の枠組み) を基底にせざるを得ないのですが、みずからの FOR は、人類が継承してきた知識と比べたら、微々たる量にすぎない。「私の経験から判断して」 という言いかたは、その人が どういう経験をしてきたかを示しているけれど、かならずしも、正しい判断である保証はないでしょうね。なぜなら、その人の経験に比べて、現実的世界は、もっと豊富な事態に満ちているから。
TMD (TM Diagram、T字形 ER図) を観た若い (たぶん、30歳代前半の) プログラマ が、「私の経験から判断して、テーブルを これほど細かにした構造を実装すれば、データベース の パフォーマンス は 『絶対に』 悪くなるでしょう」 というのを 私は直接に聞いて、苦笑しました。私のほうでも、TM は 「数多くの経験から判断して」、高 パフォーマンス を実現してきたことを主張することができますし、数学・論理学・哲学の観点から判断しても矛盾がないことも証明できます。とすれば、かのプログラマが断言した 「経験」 というのは、ほかの人たちの経験を認めないということを前提にしているのでしょうか--言い換えれば、みずからの経験こそが正しいと思い込んでいるのでしょうか。
本 ホームページ の 「佐藤正美からの一言 メッセージ」(Devil's Advocate) のなかで、かつて、「揺るぎもしない自信」 とは 「勝手な考えをしっかり持っていること」 というふうに皮肉ったことがありますが、かの プログラマ の尊大さは、いったい、どこから生じているのかしら。
システム・エンジニアというのは、対象の網羅性に対して注意を払って、妥当な論理を組んで アルゴリズム を記述するように訓練されているはずですから、いちぶの事象のみを前提にして--あるいは、みずからの少ない経験のみを前提にして--断言するような軽薄さはないと私は思っているのですが、、、。システム・エンジニアが仕事のなかで拠り所にしなければならないのは 「思考力」 です。そして、適切な思考を駆使した アルゴリズム を組むことが職責でしょう。
若い プログラマ の尊大さと言いましたが、この いい加減な尊大さは、いわゆる中間管理職に就いている年配 (40歳代・50歳代) の 「かつての」 システム・エンジニアたちにも、多々、観られる現象です。すなわち、そういう中間管理職者が、「かつての (古い)」 経験をもとにして、「今の」 事態に対応しようとする現象が、多々、プロジェクトのなかで観られます。「私は システム を数多く作ってきた。そして、私の経験から言えば、そんなことはできっこない」 というふうに、現代の (最新) 技術を使うプロジェクトが過去の (古い) 思考の枠組みに填められてしまっている現象が、多々、観られます。
環境 A で役立った考えかた a を、環境 B になっても継続して適用することが妥当でなことくらいは、ちゃんと考えていれば、直ぐにわかるはずなのですが。
コンピュータ 業界は、環境変化 (技術革新) が烈しい業界です。その渦中で仕事をしている システム・エンジニア が環境適応力が弱いというのは、悲劇なのか喜劇なのか、、、。
(2006年 6月 1日)