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Let the dead past bury its dead.

 

 亀井勝一郎氏は、アフォリズム を綴った 「思想の花びら」(大和書房) を遺していますが、そのなかに、以下の断章があります。私の好きな断章です。

    農民は美術品をつくろうと思って農具や土器をつくったわけではない。
    しかし、二、三百年もたてば、それが美術品のように珍重されるのは、
    日常の生活にむすびつき、その中でくりかえし工夫されてきたからである。
    そしてとくに大切な点は、役に立たなくなると、容赦なく捨てられるという
    きびしい運命に堪えてきたことである。

    作者たちの悲しい妄想は、自分を埋もれてゆくもののなかにけっして
    数えないことである。農具のように容赦なく捨てられる自己を考える
    ことができないことである。「高級」という妄想のしからしむるところである。

 
 これらの アフォリズム は、エンジニア の仕事や エンジニア が作った プロダクト についても、当然ながら当てはまるでしょうね。エンジニアとして、ユーザ の仕事に貢献した システム を作ったときに、うっかりすると、みずからが作った ロジック の見事さに酔ってしまうことがあるのですが、事業環境・技術環境は変化しますので、アプリケーション・プログラム も当然ながら変更を免れない。

 或る作家は代表作を訊かれて、「次の作品 (今後、執筆する作品)」 と応えたそうです。私は、エンジニア として、そういう気持ちを つねに 持ち続けたいと思っています。

 
 (2006年 7月16日)

 

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