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Fortune's wheel is ever running.

 

 芥川竜之介氏は、アフォリズム を綴った 「侏儒の言葉」(文藝春秋版) を遺していますが、そのなかに、以下の断章があります。私の好きな断章です。

    わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを
    作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて區々たる問題に過ぎ
    ない。無數の種子を宿してゐる、大きい地面が存在する限りは。

 
 この断章が綴られた日付は、昭和元年の改元第一日目です。この断章が綴られた理由として、芥川竜之介は、みずからの帰属する 「知識階級」 が滅び、「労働者階級」 が台頭してくる時代の足音を感じていたようです。有島武郎も芥川竜之介も自殺しましたが、「自分は滅びゆく階級に属している」 という意識が自殺の直接的理由であったかのかどうかを私は断言できない。
 その後、プロレタリア が政治・文化のなかで主流になったのかといえば、はなはだ疑問ですが、昭和 50年頃まで--いわゆる 「学生運動」 が頓挫するまで--、プロレタリア という概念が跋扈していたようです。

 さて、「階級闘争」 という論点を離れて、この断章を一人の人生に照らして読んでも、共感できるのではないでしょうか。芸術家であれ エンジニア であれ、「物を作る」 ことを仕事にしている人たちは、芥川竜之介が綴った 「悲しみ (あるいは、諦念)」 を宿しているのではないでしょうか。

 
 (2006年 7月23日)

 

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