亀井勝一郎氏は、以下の アフォリズム を遺している
(参考)。
先覚者に対して、後覚者ともいうべき人物がいる。ある時代が
終わりを告げて、新しい時代が始まろうとするとき、多くの人は
新しい時代の先駆者たろうとするが、しかし終わりの時代の
跡始末をきれいにつけてくれる人も尊ばなければならない。
幕末の幕臣に、若干そういう人物がいた。たとえば、栗本鋤雲
のごとき、そういう典型だ。外国交渉に一身をなげうって幕末の
紛糾に処したが、明治新政とともに野に下った。しかしこの人は
跡始末をつけることによって、かえって、福沢諭吉にも劣らぬ
先覚者のような印象を与える。未来の見とおしをもちながら、
旧時代の最後の人として滅んで行くには、大勇気が必要だろう。
烈しい技術革新に晒されている エンジニア も、この自覚をもっていなければならないでしょうね。
(参考) 「思想の花びら」、大和書房。
(2006年 9月 8日)