荻生徂徠は、「学則」 のなかで、以下のように述べています。
(参考 1)
「車を各部分の名称に分解して行くと、車がなくなってしまう」 というが、それでも
「車」 という名称は存在する。これが古代の名のつけかたなのであり、老子の説が
誤っているわけではない。ただ、「『道』 と言えるような道は、恒常不変の 『道』 で
はない」 としたのが、老子の説の誤りである。だいたい、聖人が出てから 「道」 と
いう名称ができた。老子が誤ったことを言ったとは限らない。ただ その知能が聖人
に及ばず、教化にも方法がなくて、人に理解させようとばかり努力し、人の知恵が
自然に発生するのを待たなかったから、具体的な事物を捨象して名称のみを論じ
た。論じかたは巧みであるが、実際に目で見るには及ばない。しかも名称だけで
具体的な事物がなく、空虚な表現で形容したから、その主張は いろいろと説けば
説くほど誤って来る。それを述べる者も推測で言うし、聞く方も推測で聞き、勝手な
方向へと どこまでも拡大されてとどまるところがなく、言葉の花を楽しむだけで実を
食べることがない。これは ほかでもない、聖人の教えを不足とし、その上に乗り
越えて出ようとしたからであって、まさに身のほどをわきまえなかったと知れるだけ
のことなのだ。
「学則」 は、学問をする際の心構えや 学問のしかたを七項目に分けて門人に示した著作です。引用した文は、「三」 の出だしに綴られている文です。
荻生徂徠は 「儒学者」 だったので、「道」 の究明を最大の目的としていましたが、ここでは、「道」 を論点にしないで、学問のしかたとして、以下の文について考えてみたいと思います。
(1) (老子は、) 人に理解させようとばかり努力し、人の知恵が自然に発生するの
を待たなかったから、具体的な事物を捨象して名称のみを論じた。
(2) (老子は、) 論じかたは巧みであるが、実際に目で見るには及ばない。しかも
名称だけで具体的な事物がなく、空虚な表現で形容したから、その主張は いろいろ
と説けば説くほど誤って来る。それを述べる者も推測で言うし、聞く方も推測で聞き、
勝手な方向へと どこまでも拡大されてとどまるところがなく、言葉の花を楽しむだけ
で実を食べることがない。
(3) (老子は、) 聖人の教えを不足とし、その上に乗り越えて出ようとしたからで
あって、まさに身のほどをわきまえなかったと知れるだけのことなのだ。
さて、以上の 3点を すべて 検討すれば、エッセー が長くなってしまうので、今回は、(1) のみを検討して、(2) と (3) は、次回、検討することにします。
徂徠は、(1) を べつの言いかたとして、「弁道」 のなかで以下のように述べています。(参考 2)
子思・孟子以後の弊害は、説明のしかたが くわしくて聴く者が わかりやすい
ようにとしている点にある。これは代言人の手口であり、自分の説を早く売りこもう
とするものであって、採否の権限は相手にあることとなる。だが、人を教える方法
は そうしたものではなくて、権限は こちらにあるのだ。なぜなら、それが君主で
あり師である者の 「道」 だからである。それゆえ、人を教えるのが上手な者は、
必ず相手を自分の術中に入れ、しばらく のびのびとさせて、その見聞を変え、
考え方を あらためるようにさせる。だから、こちらの言葉を待つまでもなく、相手
は自然に何かをさとるのだ。それでもわからない者があれば、ただ一言だけ緒
(いとぐち) をつけてやると、さっぱりと氷解して、全部言いつくすのを待つまでも
ない。だから教える方には手間がかからず、学ぶ方は深くさとるのだ。なぜなら、
こちらが言い出す前に、相手は もう半分以上のところまで考えが進んでいるから
である。
また、かれは、「答問書」 のなかで、以下のようにも綴っています。(参考 3)
「論語」 の ... (略) ... とあるのは、学ぶ者が、心に知りたいと思う気持が十分
にあるのに知り得ず、口に自分の意見を言いたいと思うのに言い得ない時に、
はじめて これをさとし教え導いてやるということで、孔子の門流ばかりに限らず、
今日でも教え方というものは これ以外にはあり得ません。
私は、セミナー 講師を ときどき 勤めるのですが、セミナー には、みずからの技術を マーケット に知ってもらうために開催する 「宣伝」用の セミナー もあれば、(「宣伝」 を離れて、) 技術そのものを丁寧に述べる 「講釈」 用の セミナー もあります。ただ、いずれにしても、セミナー は、どこかで、「sell myself」 あるいは 「push the product」 という、こちらのほうから大衆に向けて セールス する性質を帯びているようです。
そして、セミナー では、みずからの説を聴いている人たちに理解してもらうために、説明のしかたには 「わかりやすい」 工夫を凝らします。はなはだしきに至っては、「プレゼンテーション のしかた」 を詳細に記述した書物まで出版されている有様です。
荻生徂徠の述べたやりかたが、本来の 「学問のしかた」 でしょうね。徂徠は、「宣伝」 も 「師が講釈すること」 も嫌っています。私は、コンサルテーション のときには、徂徠の述べたやりかたをしているのですが、いかんせん、コンサルテーション に至るまでには、TM (T字形 ER手法) という技術のあることを 「宣伝」 しないでは、TM の存在を マーケット に知ってもらえない。
私は、セミナー のあとで、いつも、強烈な 「虚無感」 に襲われて不眠に陥ってしまいます。「虚無感」 が襲う理由は、私の頭のどこかで、みずからを セールス することに対して嫌悪感を抱いているからでしょうね。
いっぽう、私は、コンサルテーション では、思考が トップギア に入って、ユーザ を落ち着いて観て、ユーザ の ちから に対応して、TM を指導できます。それができるのは、私が すぐれた コンサルタント であるというのではなくて、ユーザ が TM を懸命に学習しようとしているからです。つまり、ユーザ が みずから 事を進めているのです。コンサルタント は catalyst であるとは、そういうことです。
私が関与した プロジェクト では--「政治的」 な理由を除けば--、データベース 設計は、技術的に、過去 10数年のあいだ、一度も、しくじったことがない (政治的に、数件、潰されたことがあったけれど、、、)。それは、私の自慢話ではなくて、ユーザ が、TM を懸命に営為・運用するからであって、私の役割は ユーザ の はたらき を促す catalyst にすぎない。
コンサルタント の仕事は catalyst ですから、私は、徂徠の言うことを納得できます。徂徠の言うことが、一読して、「時代おくれ」 だと思うのであれば、「癖」 (本来とは ちがう形になって、元に もどれなくなった状態) に陥っていると反省したほうがいいでしょうね。コンサルタント が catalyst であることを忘れたら、徂徠の言うことを現代風に言い直せば、以下のように言うことができるでしょう。
They are supposed to help you solve problems,
but half the time they ARE the problem.
(参考 1) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
90 ページ - 91 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(参考 2) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
116 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(参考 3) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
345 ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。
(2007年 3月23日)