荻生徂徠は、「誠」 について、以下のように言っています。
(参考)
「誠」 とは心の奥底から発して、考えたり努めたりするまでもないものをいう。
少しでも 「誠」 にしたいと思えば、考えたり努めたりすることになる。だから
「誠」 とは、人為的にすることはできないものである。(略)
これは、およそ自分の心の底から起こって、そうしたいと思うことがあれば、
べつに顧慮することなく そうする、それが誠だという意味である。信は迷わない
という意味で、およそ心に不安なところがあれば それをしないのが、信である。
(略)
たとえば、腹がへって食べ、のどがかわいて飲むなどは、すべて考えなくても
体得し、努めなくてもできることで、これも 「生まれつき知り、安らかに行な」って
いるのである。だから悪事をかさねて習性となった者には、悪も誠なのである。
つまり、誠は、もともと先王が教えのために設けたものではなく、子思が老子の
説を論破しようとしたため、この言葉を はじめて出した。これを美徳と固執する
必要が どこにあるだろうか。
さて、エンジニア が技術のみに固執して、みずからの仕事に誠実に従事して、見事な技術を作ることは 「誠」 に値するのかもしれないけれど、(「道」 から逸れたら、) 美徳にはならないこともある。
では、エンジニア の 「道」 とは、なにか、、、重ね重ね 考えてみなければならないでしょうね。
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
172 ページ - 173 ページ、175 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文。
(2007年 4月23日)