1980年代なら いざ知らず、いまどき、データベース 設計が単独で論点になる時代ではないでしょうね。データベース 設計は、事業過程・管理過程を解析する核たる技術であるけれど、それのみが システム 作りの技術ではないし、それは、システム 作りのなかで、数多い パラメータ のなかの 1つにすぎない。
みずからの専門技術に関して誇りをもつことは、それはそれで みずからの気持ちのなかにとどめて置けば良いのですが、つよい思い込みにまで助長して、「最高の技術である」 というふうに自惚れて、ほかの技術を見下げる 「対比意識」 を抱いている人たちを、多々、観ることがあります。あるいは、或る技術に惚れた ファン (熱狂的な支持者) が、その技術を 「最高の技術である」 というふうに狂信して他の技術を認めないという事態を観ることがあります。そういう態度は、まるで、「みずからの恋人が最高である」 と言っている逆上 (のぼ) せと同じでしょうね。
荻生徂徠は、「学則」 のなかで以下のように言っています。(参考)
だいたい、物が正しく養われないのは、悪である。適当な位置におかれないのも、
悪である。育てて成長させ、適当な位置を占めさせるのは、みな善である。人間を
虎や狼と一緒にしたり、稗 (ひえ) を米の中にまぜたりするのは、悪に違いない。
しかしながら天地は虎や狼をいとわないし、雨露は稗を差別しない。聖人の道も、
これと同じようなものなのだ。(略) だから不仁を憎むことが あまりに はなはだ
しいのは、仁を好む心が至らないためである。(略)
聖人の時代には見捨てられた才能も、見捨てられた物もなかった。「堯・舜の
時代の民は、軒なみ諸侯に封じてもよい人々であった」 (「漢書」) と言うが
なにも民衆のすべてが公爵や侯爵になれる素質があったわけではないし、同情
して欠点を許したのでもない。彼らが その能力に応じて政治に貢献するところ
があったことを言ったものである。「卑近な言葉について考察する」 (「中庸」)
とか、「山がつの意見を採用する」 (「詩経」) とか言われるが、その意見を
出した人たちが、すべて賢者だったはずはない。毒は病気をなおすし、苓 (れい、
草の名) も ときには薬の帝王となり、(略) 聖人が その偉大さを成就する
手段は ここにある。だから善と悪との差別が あまりにも明白にされたため、
先王の教えの範囲が狭 (せば) められてしまい、正邪の議論が やかましく
なって、孔子の持つ大きさが削られてしまった。すべては儒者の罪である。
このようなわけで、諸子百家九流の説から仏教・老荘という片寄った説まで、
すべて道の断片であり、やはり人情から出ていないものはない。だから そこに
至言が含まれている。(略)
漢代の専門の学問は、人ごとに説は違うけれども、師匠から聞いたことを伝え、
その源は孔子の弟子たちから出ていた。それでも誤りがないわけではなく、得失
が それぞれにある。それらを併存させ、兼ねて学ぶのが、道を捨てないという
ことである。それを孔穎達 (くようだつ、唐の儒者。欽定の 「五経正義」 を作った
ときの中心人物となった) が疏 (そ) を作ったとき、一人の注釈だけを基準と
してしまった。明朝では、「五経大全」 (朱子学にもとづく注釈書) を作ったので、
孔穎達も排除されてしまった。学問が しだいに狭くなったから、古代に及ばなく
なったのである。だから学問のありかたは、根本の大きな点を確立しさえすれば、
あとは博 (ひろ) いことを貴び、雑になることをいとわず、疑わしいことは その
まま残しておくようにして、萌芽の出るのを待てばよいのである。
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
94 ページ - 95 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(2007年 5月 1日)