荻生徂徠は、著作 「訳文筌蹄 (せんてい)」 の題言のなかで以下のように綴っています。
(参考 1)
字書に載せてある解釈などは、本草の書が薬の性質を説明しているようなもの
にすぎぬ。基礎医学を広く研究し、臨床で経験を積み、主従の調剤の用途の違い
や、炮 (い) ったり炙 (あぶ) ったり水薬にしたり散薬にしたりする適宜の方法の
差を理解した人でなければ、こまかい点まで行きとどいて すべてを洞察し、一つも
過ちがないというところまで達しうるはずがない。
この文は、徂徠が著した 「文罫 (ぶんけい)」 という書物について、「文には天の秩序があり、おごそかで乱すべからざるものであることを つぶさに述べた」ので、「この書を読む者が玩味して自得したならば、はっきりと悟りが開け、源流に逢着するに至ろう」 という自負を述べた文です。
かれは、著作 「学則」 を以下の文で締めています。(参考 2)
だから私は、学問をして諸子百家、曲芸 (小さな技能) の士となろうとも、道学
先生となることは願わない。
引用した いずれの文も、徂徠流の 「格物致知」 (物を重視する態度) を示した practitioner としての自負を述べた文ですね。
いっぽうで、かれは、「『国思靖遺稿』 序」 のなかで、長崎の通詞 (通訳) について、以下のように綴っています。(参考 3)
通詞が間を取りもってやるので、通詞の富は また、長崎でも随一とされる。
利益が集まるところには、名声もついて来るものだ。(略) 中国語にしても 口の
あけかたを研究したり、歯や顎の動かしかたに注意するだけのことで、やはり学問
も文学もありはしない。それでも商人たちの上に立つ位置を占め、外国貿易の場で
使われる わけのわからぬ発音が聞きとれて話せさえするならば、それで勉強が
完成したと思いこみ、師匠は その勉強を教えて師匠づらをし、弟子は それを学ぶ
つもりで弟子になる。国先生という人も、こうした点だけで町中に名声を馳せている
のなら、なにも尊敬には値いしないことだ。
ちなみに、徂徠は、「『国思靖遺稿』 序」 のなかで、国先生を 「温厚で しかも純粋、清澄で浮薄な点がなく、ほがらかに美しい」 と褒めたたえています。
国先生が亡くなったので、国先生の遺稿を出すための序として綴られたのが 「『国思靖遺稿』 序」 です。
さて、「『国思靖遺稿』 序」 で綴っているように、徂徠は、学問の たしなみのない実務家を軽蔑しています。
芥川龍之介 は、以下の アフォリズム を遺しています (「侏儒の言葉」)。
最も善い小説家は 「世故に長じた詩人」 である。
この アフォリズム は、徂徠の見かたに通じますね。
私は、エンジニア として、「理論に長じた practitioner」 でありたい。
(参考 1) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
243 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(参考 2) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
96 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(参考 3) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
203 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(2007年 5月16日)