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It speaks itself.

 

 荻生徂徠は、「答問書」 の中で、以下のように述べています。(参考)

     世間では 「術」 と言うと 「詐欺の術」 などというものと混同して忌み嫌う
    ので、「術」 ということを正しく考える風潮がなくなってしまい、宋儒の説の
    ように、やたらに理屈や原則論ばかりになってしまいました。ともかく、後世に
    できあがった、恣意的な諸説に目をくれず、「詩経」 「書経」 「易経」 「春秋」
    「礼経」 「楽経」 の六経から 「論語」 までを熟読すれば、自然と聖人の道は
    おわかりになることです。

 徂徠は、「原典」 を熟読するように注意を促しています。「私智ヲ去ル (『じぶん一人の量見で、聖人というのはしかじかであると作る』 ことを嫌悪する)」 ことは、かれの一貫した態度でした。かれは儒学者だったので、「道」 を追究するが生涯の目的でした。そして、憶測で意見を言わないように--ことば を弄しないように--、具体的な 「物」 を検討することが、かれの一貫した態度でした。かれの言う 「物」 とは、「制度・政策」 のことです。すなわち、「道」 は抽象的な概念ではなくて、「礼楽刑政」 という 「物」 として示されているというのが、かれの考えかたの基本です。だから、かれは、「道」 を抽象的に論じないで、「(聖人の) 道」 を学ぶには詩・書・礼・楽の経書を丁寧に読むしかないと言っています。

 そして、かれは、「聖人」 とは 「作るひと」 のことだと言っています。すなわち、「聖人」 とは、「神」 のような絶対的存在 (一者) ではなくて、すぐれた業績 (制度・政策などの事績) を遺したから尊敬されている人たちのことです。この意味で、「道」 は 「術」 と同じです。したがって、孔子は、「作るひと」 ではなくて、「(古代の先王の) 道」 を伝えるひとだったので、聖人ではない。

 「活物」 たる人間があつまった錯綜した社会を安泰にするために作られた 「道」 は、ひとりの聖人が実現できる しわざ ではない。代々の聖人たちが作ってきた 「道」 である。したがって、そういう 「道」 を、個人の憶測で捉えきれるはずがない。

 徂徠は 「歴史」 を重視しています。というのは、「道」 が 「術 (制度・政策)」 であるならば、変化するのが当然であって、「具体的な」 与件 (社会事態) のなかで、「具体的に」 実現された事実を観るしかないから。

 「古代の先王・聖人」 の 「道」 が、どうして、徂徠の生きた江戸時代に通じるのか--あるいは、古代以後の時代に通じるのか--という点を述べるのは、非常に難しい。非常に難しいという意味は、もし、私 (佐藤正美) が、ここで述べても 「説示一物即不中 (ことば で言っても的中しない)」 となってしまうでしょう。
 徂徠は、「『道』 の原理」 を述べることはしなかった。なぜなら、「道」 は 「物」 に即して学ぶしかないから。「道」 を理解する てだて は、「物」 に即して 「体得する」 しかない、というのが徂徠の真意でしょうね。

 さて、以上に述べてきた 「徂徠の考えかた」 は、システム・エンジニア の考えかたに通じますね。上述した文中の 「社会」 を 「事業過程」 として読み替えてみれば、私の言っていることが理解できるでしょう。私は、徂徠から学ぶ点が多かった--「多かった」 と過去形で書いていますが、私は、いまも、徂徠を読んでいます。

 


(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    329 ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。

 
 (2007年 6月23日)

 

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