荻生徂徠は、「答問書」 の中で、以下のように述べています。
(参考)
とにかく学問の道というものは、常に向上心を持つべきで、そのうえで程・朱
を立派だと思っていれば、程・朱くらいにはなりたいと思うべきです。その程・朱
は べつに誰にも頼らずに、直接、経書を学んで、ようやく あのくらいになった
人々です。ですから今、程・朱の成しとげた説のみを学んでも、程・朱ほどには
決してなれません。程・朱が そのような説を成しとげるために、どのような学び
方をしたかを よく見きわめて、程・朱の学び方のとおりに学んで、そうして博く
学ばれたうえで、やはり程・朱の説が良いと お思いでしたら、その時に、程・朱
の説に従われればよいのです。現在、程・朱を信じていらっしゃるのは、ただ、
人が そういうからなのでしょう。私の学風は、このように誰にも頼らず、直接、
聖人の書を読んで、そこから掴みとってくることをもっぱらとしております。
文中で 「程・朱」 というのは、「程子・朱子 [ 程 (ていこう)・程頤 (ていい)・朱熹 ] のことで、「宋学」 を示しています。「宋学」 は、中国宋代に確立された儒学です。北宋の程・程頤らが 陰陽五行の観念・老荘の説・仏教の哲理 を取り込んで儒学を新しく体系立て、そして、南宋の朱熹が集大成したので、程子学・朱子学とも称します。日本の江戸時代には儒学が官学とされていましたが、朱子学が主流でした。
徂徠は、当初、朱子学を学んで、朱子学の立場から伊藤仁斎を攻撃したのですが、のちのち、「弁道」 「弁名」 を著して、朱子学を離れて、ついには、「答問書 (下)」 のなかで、「宋学を おやめなさい」 と記しています。なお、「答問書」 は、上・中・下の三部構成で、出羽庄内藩酒井家の家老たち 水野元朗・疋田進修の質問に徂徠が答えた和文の書簡集です。それらの書簡をあつめて編修して今の形にしたのは門人の根本武夷です。
さて、「答問書」 のなかで、徂徠は、「宋学を おやめなさい」 と進言して、その理由を 「答問書」 のなかで詳細に述べているのですが、いっぽうで、さきに引用した文が示すように、「程・朱が そのような説を成しとげるために、どのような学び方をしたかを よく見きわめて、程・朱の学び方のとおりに学んで、そうして博く学ばれたうえで、やはり程・朱の説が良いと お思いでしたら、その時に、程・朱の説に従われればよい」 とも言っています。
徂徠の この文は、私が 「反 コンピュータ 的断章」 (2007年 6月16日) で綴った思いを補充してくれるでしょう。
私は、コッド 関係 モデル を起点にして、数学基礎論・論理学・哲学の通説・技術を学習して、コッド 関係 モデル を意味論の観点から検討して TM (T字形 ER手法) を作りました。そして、TM を実地に適用して験証してきました。学問の説を学習するときには、直接、研究家たちの原典--ただし、翻訳が多いのですが--を読み込んできました。かつて、私の眼前で、「T字形 ER手法を読み倒してきた」 などと自惚れたことを言い切ったひともいましたが、かれは、どの程度に、それらの学問を習得してきたのかしら。
データ 設計法を作るのであれば、TM など参考にしなくても良いから--徂徠が言うように、TM を学習しても、TM を超えることはできないでしょうから--フレーゲ、ラッセル、パース、ホワイトヘッド、ウィトゲンシュタイン、ゲーデル、カルナップ、ポパー、クワイン、クリプキらの書物を直接に読んで下さい。学習では、源流を堰き止めるのが いちばんに 「ききめ」 があるでしょうね。
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
355ページ - 356ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。
(2007年 7月 1日)