荻生徂徠は、「答問書」 の中で、以下のように述べています。
(参考)
庶民は自分の仕慣れたことが一番安心できるものです。長いことやり慣れた
ことは、数代も前から染みこんでいるので、たとい それが悪いことであったと
しても、便利の良いものになっております。世の中は それぞれ持ちつ持たれつ
で、あれこれ互いに融通しあって一体となっているものですから、長年慣れて
きたことは、方々へ その根が ひろがていて、それに頼って利益を得ている人
も多いものです。それを急に改めたりすると、あちらこちらに思いがけない不足
や ゆがみが出てきたりするもので、このことは よくよく考えられるべきところ
です。
われわれ システム・エンジニア が、システム を作り直すとき、やはり、徂徠が述べた事態を配慮しなければならないでしょう。
ところが、書物だけで システム 作りを学習したひとや、みずからの やりかた が最高であると自惚れているひとは、どうしても、「当為意識 (『ものごとは、しかじかとして あるべきである』という理想のみを述べること)」 に陥るようです。特に、小悧巧なひと というのは、なまじ、いくつかの システム を作ってきた経験を楯にして、みずからが信じている やりかた が最高だと自惚れて、その やりかた を押し通そうとするひとです。そうなれば、ひとりの わがまま の所為で、まわりの人々が疲弊してしまいます。そして、ほんらいなら、システム の品質を考えなければならないはずなのに、そういうひとは、「私は、いままで、こういう やりかた でやってきた」 というふうにうそぶいて、およそ、エンジニアリング から外れた所見を詫びれもしないで言い切ってしまう。
システム を作るというのは、システム を作るための一般手続きに従っていれば、実現できる訳ではないでしょう--勿論、上述した我流などは問題外ですし、正統な・正当な やりかたは、当然ながら前提ですが、前提にすぎない。システム を作るというのは、活物たる事業過程を対象にしているのだから、一般手続きのうえに、さらに、工夫をしなければならない。300年前に徂徠が言ったことは、現代でも 「真」 です。
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
323ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。
(2007年 7月 8日)