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When a new book is published, read an old one. (Samuel Rogers)

 

 スピノザ は、「エチカ」 のなかで、以下の ことば を遺しました。

   人間にとって、人間ほど有益なものはない。

 私は エンジニア なので--しかも、データベース・エンジニア なので--、事業過程のなかで使われている データ と向き合うことが仕事のなかで大きな比重を占めていて、営業活動のように、人を相手にして仕事することが、まず、ない。エンジニア として 20数年も仕事を続けてくれば、往々にして、技術のみに惹かれて、人との つきあい を疎ましいと感じることもあります。しかも、仕事が専門性を帯びていれば、往々にして、専門的技術のみを後生大事に抱えて、ほかの技術を みずからの専門技術に比べて、大したことがないように軽視しがちです --なぜなら、みずからが体得している専門技術のみが、みずからの存在理由 (raison d'etre) を示すから。

 荻生徂徠は、「答問書」 の中で、以下のように述べています。(参考 1)

     しかしながら、器量の小さな人は、何事も みな自分だけの尺度で考え、
    小さな枠を こしらえて その中で考えるので、自分の知恵の及ぶ範囲で、
    一つのことですむような手近な手段を好みます。

 こういう罠に陥らないようにするためには、基礎学習を ちゃんと修めることでしょうね。一過性の流行を追って、次から次と、「新しい」 ことを囓 (かじ) って、いっぱしに、エンジニア を装っても、10年の時の流れで観れば、化けの皮が剥がれます。博く、そして、丁寧に、基礎を学習して、その礎石のうえに、みずからの専門技術を深めるのが、学習の確実な やりかた でしょうね。

 「わかりやすい」 ミーハー 本ばかりを読んで 「てっとりばやく」 学習する悪弊は、喩えれば、泥地のうえに、家を建てるような現象であって、礎石が脆 (もろ) い。そういう悪弊に陥れば、正統な書物を読んでも理解できなければ、直ぐに、「難しい」 と苦言をこぼして、みずからの理解力のなさを恥じないで、書物を非難するか、あるいは、書物に対して、こざかしい批評を言い散らして、みずからのほうが 「鋭い」 と思わせぶり (smart-alec) の態度をとるかもしれない。

 書物を読むということは、「生身の」 ひと とつきあうことに比べて、「対話」 ができないのが弱点ですが、書物は、たとえ、技術書であっても、書き手の人生が、かならず、にじみ出てきます。というのは、専門書であれば、書き手は、生活の ほとんどを その専門領域に注いできたのだから。書き手の生きかた、そして、その生きかたのなかで形作られてきた視点・考えかたが、書物のなかに出てきます。

 そして、ひとりが実際に体験できる事態などは、量も質も、社会のなかで限られているので、社会を知る手段として書物が大きな役割を担っているでしょう。書物を いっさい読まないで、「社会を知る」 ことなど、皆目、できないでしょう。「人間にとって、人間ほど有益なものはない」 というのは、少なくとも、人間を観察できるほどの知識 (参照項) が前提になっているはずです。とすれば、もし、その参照項が ミーハー 本ばかりで作られたとしたら、、、。

 "It never ceases to amaze me how kids get caught up in crazy fads".
 "Really? Didn't you act the same way when you were young?"(参考 2)

 


(参考 1) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    338ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。

(参考 2) 松本道弘、「Give Get 辞典」、朝日出版社、218 ページ。

 
 (2007年 7月16日)

 

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