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At a round table there is no dispute of place.

 

 荻生徂徠は、儒学者だったので、「道」 を追究することを、生涯の目的としていました。「道」 は、具体的に、「礼楽刑政」 の制度として実現されてきて、「道」 を作った人物──先王たち (唐堯・虞舜・兎王・湯王・文王・武王・周公の七人)──が 「聖人」 である、と徂徠は考えています。そして、徂徠は、「徳」 に関して、以下のように述べています。(参考)

    「徳」 とは 「得 (とく)」 である。人がそれぞれに道において得るところがある
    という意味である。天性によって得る者もあれば、学問によって得る者もあるが、
    いずれも天性の差違があるためである。天性は人ごとに違うので、徳も人ごと
    に違う。

    そして、徳を養成し、厚くする手段としては、礼楽がある。「礼記 (らいき)」 楽記
    (がつき) に 「礼楽をすべて会得 (えとく) したのを有徳という」 とあり、「論語」
    では 「臧武仲 (ぞうぶちゅう) の知、公綽 (こうしゃく) の不欲、卞荘子 (べん
    そうし) の勇、冉求の芸などは、礼楽で文 (かざ) れば、成人とすることができ
    よう」 (憲問) とある。つまり、礼楽を学んでその徳を成就すれば、この四人は
    みな一人前の人物になれるという意味である。「成人」 とは 「徳を成す」 ことで
    ある。「文 (かざ) る」 とは徳が成就して光輝を持つことをいう。外から絵具を
    塗ることではない。これはみな一つの徳について言ったのであり、多くの徳を
    兼備することは必要でない。

    「易経」 繋辞伝には、「然るべき人物でなければ、道はおろそかには実践され
    ない」 とあるのだから、徳が未完成のうちに、道が実践できるはずがない。

    古代では 「身」 と 「心」 を対 (つい) にして言うことがない。「身」 という
    のはすべて、自分自身の意味なのである。自分が心を除外するはずはない。
    孟子は 「徳が外に現われると色つやがよくなり、顔に現われ、背に溢 (あふ)
    れ、四体に行きわたり、四体は何も言わないけれどもよくわかる」 (「孟子」
    尽心上) と言ったが、これが徳を形容した言葉である。心に得ることのみを
    言うわけではない。だいたい言葉たくみに飾りたて、顔つきをよく見せたの
    では、もちろん徳とはいえないが、心に得ただけでは、欠陥のあることは同じ
    なのだ。しかも礼楽によらないで心によるのは、不学無術というものだ。

 以上の文の要旨は、以下のようになるでしょう。

  (1) 「徳」 とは 「得 (とく)」 である。
  (2) 天性は人ごとに違うので、徳も人ごとに違う。
  (3) 徳を養う手段として礼楽がある。
  (4) 一つの徳を得れば良いのであって、多くの徳を兼備する必要はない。
  (5) 徳がなければ道を実践できない。
  (6) 徳は身体に現れる。

 ただ、私は、文中の 「天性」 の意味を理解できない、、、「易経」 には、以下の文があります。

    先天而天弗違、後天而奉天時

 「天性」 を文字通りに 「うまれつきそなわっている性質」 というふうに考えても──数学的に、f (x) として考えても──、具体的に、どういう性質なのかを私は理解できないので、補集合たる 「後天」 (生まれてから後に身に備わること)──数学的に、¬ f (x) ── を除いた状態として考えたほうが良いのかしら。「天」 という文字は、そもそも、「人が正しく立った形」 を字源としているようです──「人」 の絵文字を想像してみて下さい。「天性」 の意味を私は理解できないのですが、「徳」 は、「天性」 の性質ではなくて、「後天的」 な性質 (獲得する性質) であることが徂徠の文を読んで理解できます。そして、「徳」 を得る手段として、礼楽があるというのが徂徠の主張です。しかも、「徳」 は 「専修」 であるということです。今風に言えば、「徳」 は、仕事のなかで、礼楽を実践した状態を云うのでしょうね。

 私は、本 エッセー で、「道徳」 を説こうと思っていない。「道徳」 という言いかたは、世間では、どうも、「『修養』 を目的とした」 うさんくさい律 (規範) のように思われているし、私自身も、「道徳」 という ことば を聞いたら、徂徠の云う 「道・徳」 とは違う連想をします。本 エッセー を綴りながら考えてみたかった点は、「徳」 が 「楽」 をふくんでいるという点です──さらに、徂徠の思いを忖度すれば、「文 (詩)」 をふくめても良いでしょうね。そして、徂徠は、みずから、「風雅文采」 を実践したひとでした。私は、システム・エンジニア として、みずからの仕事のなかで、そうありたいと望んでいます。

 


(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    139 - 140 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

 
 (2008年 2月 8日)

 

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