「徂徠集」 を読んでいたら (「宇野士朗に送る序」)、以下の文がありました。
(参考)
抹消的な利益ばかりを求め、わずかな儲けを積み上げる気風は、(略)その
中に儒者が住んでも暮しは立てにくいから、講義の店を開くのだが、数百人
から千人と弟子が集まっても、その日その日を過ごすので精一杯の有様、
性だの天だの (宋学で よく用いる術語) としゃべるが、大体は宋学の
書物でなければならない。筆をとり、上を向いて天井を見つめ、何日も
ぼんやり過ごしながら、霊感が湧くのを待っていられるような人物は一人
もないのだ。だから仁斎 (伊藤) ほどの聡明な傑物でさえ、その風習に
染まってしまった。
この文は、徂徠の弟子である宇野士朗が、兄の病気のため、ひとまず、帰国 (京洛) するので、徂徠が宇野士朗に贈った文です。文中、京洛の人たちが読んだら怒り出すような 「京洛に対する非難」 が綴られているのですが──たとえば、「目のつけどころが卑 (ひく) いうえに、そのほかの価値については考えもせぬ。このために変化が生じにくのだ」 とか──、敢えて省略します。
さて、巻頭に引用した文ですが、私は、わが身につまされ、どきん としました。私が独立開業した理由は、企業を興して 儲けることを目的にしたのではなくて、みずからの やりたい ことを だれにも干渉されないで進めたかったからですが、徂徠の言うように、「暮らしは立てにくいから、講義の店を開くのだが、... その日その日を過ごすので精一杯の有様」 です (苦笑)。
「筆をとり、上を向いて天井を見つめ、何日も ぼんやり過ごしながら、霊感が湧くのを待っていられる」 という文は、文字通りに読めば、曲解されそうな文なのですが──というのは、「ぼんやり過ごす」 とか 「霊感が湧く」 というのは、およそ、学問する態度とは離れているので──、徂徠の真意は、「学問に まっすぐに向かう」 という意味でしょうね。そして、「性だの天だの (宋学で よく用いる術語) としゃべるが、大体は宋学の書物でなければならない」 という文で、徂徠は、宋学を (正統な源流から外れた) 新説として非難しています。学問の源流に遡って学問を究めた徂徠の自負でしょうね。徂徠の生活態度は、「風雅文采」だったそうです。
三年とか五年という短いあいだ、みずからを マーケット に セールス して (market oneself)、名を馳せることは、それほど難しいことではない──私自身、30歳代の前半、まるで、「流行作家」 のような 「はやりっこ」 になって、ちやほや されましたから。ただ、20数年とか 30年のあいだ、つねに第一線に立っているというのは、そうとうに難しいことです。私は、幸い、mentor と ユーザ に恵まれて、いまに至るまで、データ 設計ひとすじ に第一線で仕事を続けることができました。30歳代で 「売れっ子」 になったとき、私は、最初、いい気になっていたのですが、次第に、「このままでは、消費財にされてしまう」 という恐怖感を覚えて、独立開業したとき──独立開業して 4年目くらいのときだったと記憶しているのですが──、私は、進むべき道として、マーケット で上手に泳ぎ続けることよりも、べつのほうに舵取りしました。その道が徂徠のいう 「道」 に近かった。そして、私は、(独立した直後に作った、そして実地に験証してきた) T字形 ER手法を学問の観点から検証して、次第に整えて──そして、いまでも、整えている最中ですが──、TM という よびかた に変えました。TM という呼称は、単に、T字形 ER手法の よびかた を変えたのではなくて、ロジック の観点から、そうとうに検証してきました。
ただ、学問の観点から検証するためには、数学・論理学・哲学を学習しなければならなかった。そして、それらを学習するためには、学習時間を確保しなければならなかった。そして、学習時間を確保するためには、仕事を減らさなければならなかった。仕事を減したので、収入が減って、貧乏になりましたが、私は、みずからが選んだ道を間違っていたとは思わない (と、思いたい、、、)。
私は、いま、大学 (あるいは、大学院) に再入学して、学問の基礎を再学習したいと思っています──ただし、今度は、会計学ではなくて、数学を選ぶでしょうね。
ゲーテ が言ったと記憶しているのですが──うろ覚えなので、確信がないのですが──、「学問すればするほど、『平凡』 にもどる」 という ことば を、私は、いま、実感しはじめました。それを気づくのが、少々、おそかったかもしれないのですが、それを気づいたなら、私は、それを実現していきたいと思います──「当たり前のことを淡々と実践する」 と。そして、50歳なかばにして、やっと、エンジニア として自信を感じるようになってきました。
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
213 ページ - 214 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(2008年 2月23日)