日本文学史の書物を読んでいると、「中世」 では、「説話集」 が盛んであったとのこと。「中世」 というのは、鎌倉幕府の開設から江戸幕府の開設までのあいだを云うそうです──正確に言えば、建久三年 (1192年) から慶長八年 (1603年) までの時代です。この時代は、武士が台頭してきて、公家 (天皇、公卿) と武家と寺社が対立した 「動乱の時代」 です。「方丈記」 は、以下のように、時代を記しています。
すべて世の中のありにくく、わが身と栖 (すみか) との はかなく あだなるさま、...
武士が台頭して、戦乱が多かった時代ですので、民衆を救済するために、「新・仏教」 が生まれた時代です。「中世」 という長い時代のなかで、文学史をながめていたら、たぶん、南北朝あたりが 「文化」 が変わる節目なのかな、と私は感じました。すなわち、南北朝以前は、王朝文化を継承する流れがあったのですが、南北朝以後には、武家・庶民が 「物言う大衆」 として時代の舞台に躍り出て、「語り物」 が普及しました──たとえば、「平曲」 や小唄 (「閑吟集」) や、軍記物語 (「義経記 (ぎけいき)」 「太平記」 など) や、説話集 (「宇治拾遺物語」 や仏教説話集など) が普及しました。
さて、説話集ですが、説話そのものは、院政期に生まれていました。ただ、その頃の説話に比べて、中世の説話は、以下の特徴があるそうです。(参考)
中世に入っても説話は大いに語られ書かれ利用された。しかし それは説話の
話の世界を愉しむというより、秩序の動揺した この時代を生き抜くための判断
の より所を求める説話への向かい方であった。人々は、説話に 「おこり」 (起源)
と 「ためし」 (事例) を尋ねて生きがたい世を生きる道を探り、また そのよう
な人々に向けて 「おこり」 と 「ためし」 の説話が語られた。
中世の説話の主題には、「あはれ」 「ふしぎ」 「おかし」 がある。「あはれ」
は王朝伝統を規範とする情趣・興趣の世界。「ふしぎ」 は宗教的奇瑞や
霊験の世界、「おかし」 は滑稽な現実世界。「おこり」 「ためし」 として
の中世説話は、王朝世界への懐古的姿勢の中で、宗教的超人に熱い
眼差しを送り、霊験による救済を期待する一方、現実社会での人の営みを
批評する、そのような世界だったのである。
現代人は、「説話」 を 「科学的でない」 として笑うかもしれないのですが、私は、この文を読んでいて、現代の 「事例発表 セミナー」 が 「説話」 と同型だと思いました──しかも、現代の 「説話」 では、「ためし」 が語られても、「おこり」 は語られず、「ふしぎ」 は プロダクト として ブラックボックス 化されていて、プロダクト の ベンダー が霊験 (ソリューション) を与えることができるという 「おかし」 が ふんだんに盛り込まれているのではないか、という疑念を払拭できなかった、、、。
(参考) 「新詳説 国語便覧」、東京図書、129 ページ。
(2008年 6月 1日)