タルスキー (Tarski A.) 氏は、「真理の対応説 」
(* 1) と 「2値論理」
(* 2)を使って、「真理」 の定義を追究するために以下の定義文を導入しました (詳細は、本 ホームページ の 40 ページ を参照してください)。
定義 (T): 'p' が真であるのは、p ときに限る。
例えば、「雪は白い」 という文を例にすれば、定義は、以下のようになります。
文 「雪が白い」 が真であるのは、雪は白いときに限る。
タルスキー 氏によれば、言語 L1 について語る べつの言語 L2 が存在するとき、L1 を 「対象言語」 といい、L2 を 「メタ 言語」 と云います。この考えかたは、言語のなかに階層を導入するので、「言語階層説」 と呼ばれています。語 「真」 の使 いかたは、対象言語に属する文に対して適用されるから、メタ 言語です。つまり、以下のように表現でます。
文 「文 『雪は白い』 は真である」 は真である。
この例文のなかの文 「文 『雪は白い』 は真である」 が対象言語に属します。そし て、メタ 言語に属する 「真」 という表現が同時に対象言語のなかにも属しているから パラドックス が起こるのです。「真」 という語が帰属し、定義 (T) の形の同値文がすべて肯定される言語のことを、タルスキー 氏は「意味論的に閉じた言語 (semantically closed language)」 と呼んでいます。したがって、真理の定義は 「意味論的に閉じた言語」 を使うことを避けて メタ 言語を使って構成されなければならない、ということです。タルスキー 氏は 「形式化された言語における真理概念」 という論文を 1933年に発表して、集合 (クラス) 算の言語 (language of the calculus of classes) を扱い、真理の定義可能性を検討し、形式化された言語のなかでは、真理の定義が可能になることもある── メタ 言語が構成できるなら真理の定義は可能である──ことを証明しました。
さて、ここで問題となるのは、自然言語が 「意味論的に閉じ られた言語」 であるかどうか、という点です。逆に言えば、自然言語が 「意味論的に閉じた言語」 ではない、という証明ができ るかどうか、という点です。現時点では (現時点に至るまで)、それは証明されていません。したがって、もし、タルスキー 氏が示した 「真理条件」 を使うのであれば、以下の ふたつの やりかた のいずれかを選ぶことになるでしょう。
(1) 形式的言語 (メタ 言語) を導入する (クラス 算言語を使う)。
(2) 規約 T を自然言語 (ひとつの言語) に適用できる形に拡張する。
デイヴィドソン (Davidson D.) 氏は、タルスキー 氏が示した 「真理条件 (規約 T)」 を自然言語に対して適用するために、「充足」 概念を前提にして、以下の拡張しました。(参考)
私の提案は、ある言語の話し手が ある文を (観察された状況の下で) 真だと
見なすという事実を、その文が それらの状況の下で真であることの [ 反証の
ない限り事実の立証に充分とされる ] 一応の証拠と見なす、というものである。
例えば、「(ドイツ 語の) 話し手達が 'Es schneit' [ 雪が降っている ] を真だと
見なすのは、雪が降っている場合その場合だけである」 という肯定的事例は、
その一般化ばかりではなくて、次のような T-文をも確証するものとみなされる
べきである。つまり、「'Es schneit' は時刻 t における話し手 x にとって (ドイツ
語で) 真であるのは、t において (そして x の近傍で) 雪が降っている場合
その場合に限る」 という T-文である。
私 (佐藤正美) は、デイヴィドソン 氏と同じ考えかたを抱いていて、TM (T字形 ER手法の拡張版) を意味論的に補強するために、「F-真」 概念を導入しました──「F-真」 概念は (そして、その概念と対になる 「L-真」 概念も)、カルナップ (Carnap R.) 氏が使っていた用語法ですが、私は、その概念を借用して、TM を以下のような手続きで (TM を使って構成された) モデル の妥当性・真理性を実現するようにしました。
「合意」 → 「L-真」 → 「F-真」.
すなわち、まず、対象領域に関与している人たちが 「合意して認知した」 個体を、いちおう、「真とされる集合」 と見なして、次に、関係文法を適用して構成して──文法に従って導出された矛盾のない状態を 「(導出的な) L-真」 と云いますが──、最後に、その構成の現実的事態との指示関係を検証します──現実的事態との指示関係のなかで [ すなわち、T-文で テストされ験証され充足している状態 ] を 「(事実的な) F-真」 と云います。
なお、第一階 (実 データ と、その集合) のなかで験証された 「F-真」 は、その上の階 (第二階) では、もし、「妥当な公理系」 (たとえば、クラス 算など) を使えば、当然ながら、「L-真」 として扱うことができます──というのは、「(事実的な) F-真」 は、さらに、集合としての 「性質」 f (x) を使って [ すなわち、「概念」 と言って良いでしょうが ]、「関係」 のなかで、概念を構成すること [ すなわち、F (R1, R2) ] ができるから。
私は、データベース・パラダイム で仕事をしていますので、実 データ の演算を重視します。そのために、(現時点では、) 第二階の ロジック を使わない──第一階の ロジック を超えない。というのは、「性質の性質」 の 「真」 を問うのが難しいから。自然言語を使って記述された 「情報」 を対象にして 「意味」 を 「解釈」 するのであれば──そして、「意味」 とか 「解釈」 という概念を定義したくない [ 拘泥したくない ] のであれば、それらの概念を 「真」 概念に置き換えて──、デイヴィドソン 氏が示したように、T-文を使って構成を テスト する やりかた が単純で確実な やりかた でしょうね。
(* 1) 文の真理は、それ と実在との一致 (あるいは、対応) にある、という考えかた。
(* 2) 「真」 と 「偽」 の 2値を扱う考えかた。つまり、「偽」 は 「 真でない」 と同じ意味。
(参考) 「真理と解釈」、ドナルド・デイヴィドソン 、勁草書房、161 ページ、
(「信念、および意味の基礎」、植木哲也 訳)。
なお、この T-文は、デイヴィドソン 氏の言語哲学の根底思想になっているので、
「真理と解釈」 のなかに収められている ほかの いくつかの論文のなかでも
記述されています。
(2008年 6月16日)