私は、いま、書物を執筆している最中ですが、書物を執筆するときに、いつも、或る種の 「ひけめ」 を感じます。「『ひけめ』 を感じる」 という意味は、「こんな 極 当然なことを綴って、いったい、どういう役に立つというのか、、、紙の無駄遣いではないか」 という虚無感を感じる、という意味です。
私が書物を初めて執筆したのは、1989年だったので、かれこれ、20年くらいのあいだに、(今回の書物をふくめれば、) 9冊 執筆してきました。執筆の間隔は、だいたい、2年間から 3年間に一回という頻度です。この間隔は、私にとって、執筆しやすい頻度です──というのは、なにかを執筆したあとで、さらに学習を進めて、なんらかの まとまった意見を整えるまでに、2年間から 3年間ほど費やすのが私の リズム のようです。
じぶんの著作のなかでは、「論理 データベース 論考」 を私は一番に気に入っているのですが、世間では、(私の著作のなかで、一番に) ウケ が悪い、、、。ウケ が悪かった理由は、たぶん、「モデル」 を学習するための前提知識として、「数学基礎論」 の基本知識を まとめたので、数式が 多数 記述されているからかもしれない。
いま執筆している書物は、「モデル をもとめて (モデル・言語・意味)── ロジカル に考えるための 12 ルール」 という書名を考えていて──ただし、まだ、仮題なので、最終的な書名は変わるかもしれないのですが──、数式を できるかぎり使わないで、なんとか、モデル を学習するための基本知識を まとめようとしています。文体も、いままでの著作とは一変して、ブログ 風に 「です・ます」 調にしました。そうは言っても、数式を全然示さないで、モデル の技術を伝えることなどできないので、数式を入れましたが、数学的な厳正さを犠牲にしてでも、なんとか 「モデル を考えるうえで最低限に学習してほしい中核の知識」 を示そうと私は足掻 (あが) いています。でも、私が まとめようとしている知識などは、数学・言語哲学の ちゃんとした文献を読めば もっと正確に学習できることです。そして、そう思いはじめると、前述したように、私は、キーボード を打つ指が止まってしまって、「こんな 極 当然なことを綴って、いったい、どういう役に立つというのか、、、紙の無駄遣いではないか」 と感じる次第です。
ただ、数学が嫌いで 「文系」 を選んで、いままで数学を正式に学習してこなかったひとが──私も、その一人ですが──、なんらかの縁で コンピュータ を使う仕事に従事して、しかも、その仕事が、事業過程・管理過程を システム 化する仕事であれば、「モデル」 を学習せざるを得ないでしょうが、「モデル」 は当然ながら数学・言語哲学を基礎にして作られてきた考えかたなので、したがって、最終的に、数学・言語哲学を学習しなければならないのですが、数学を正式に学習してこなかったひとが、数学の書物を読んでも歯が立たないでしょうね。そして、たとえ、数学・言語哲学の書物を読んでも、数学は数学として、言語哲学は言語哲学として、それぞれ、基本知識が バラバラ になったまま 「教養知識」 としてのみ記憶されて、それらが いったい 「モデル」 のなかで どういうふうに使われるのかが、皆目、見えないでしょう。私自身が、そういう状態を体験してきました。ただ、私は、「モデル」 を作る仕事をしてきて──そのために、数学・言語哲学を学習しなければならなかったのですが──、正しい 「モデル」 を作るために数学を学習してきて 10数年になりますし、かつ、実地の システム 作りのなかで、数多い 「モデル」 を作ってきて、「モデル」 には、どういう知識がなければならないのか、そして、それらの知識が、数学・言語哲学の どのような知識を前提にしているのかが、それなりに見えてきた点もあります。数学の しかじかの知識が 「モデル」 の かくかくの テクニック として使われているとか、言語哲学の しかじかかの思想が 「モデル」 の かくかくの視点に役立っているという 「数学・言語哲学と モデル との対応関係」 を記述してみたいと思い、今回の書物を執筆しはじめました。そういう点では、数学を正式に学習してこなかったひとが、これから 「モデル」 の考えかた・テクニック を学習しようとするときに、少しは役立つかなと思っています。
今回の書物は、執筆しているうちに、私が当初計画していた中身とは ズレ てきて、少し難しい中身になってきたようです。私が当初計画していたのは、「モデル」 を一応の対象にするけれど 「モデル」 に限らないで一般化して、「真」 概念を基底に置きながら、ロジカル に考える ルール を まとめるつもりだったのですが、具体的な テクニック となれば、どうしても、「モデル」 を例にしなければならないので、「モデル」 を離れることができなかった、、、。そして、「モデル」 のほうに立てば、「モデル」 について述べた すばらしい文献 (数学基礎論の書物) が多数あるので、私は、みずからの 拙い まとめかた に対して、「ひけめ」 を感じているという次第です。
それでも、数学・言語哲学が、データ 設計の 「モデル」 のなかで どういうふうに使われるのかを示した書物が、いままで出版されていないようなので、なんとか、脱稿するように、みずからに言い聞かせています。
出版を期待していただければ幸いです。
(2008年 8月 8日)