三島由紀夫氏は、「裸体と衣裳」 という エッセー のなかで、以下のように語っています。
ひたすらにこの戯曲の腹案を練つてゐたので、構成はすでに考へ
抜かれ、細部の工夫も十分に凝らされ、あとはその プラン どほり
にすらすらと書ける筈だつたのである。にもかかわらず、書き
はじめると期梶Aあれほど精密に見えた プラン は隙間だらけの
ガタガタ のものだつたことがわかつて来、主要な テーマ をのぞい
ては、何もかもはじめからやり直さなければならない始末になつた。
(略)
筆を離れて思案だけに耽つてゐるときの作家の頭といふものは、
意外に窄い展望しか持つてゐない。(略)
書き出す前の腹案にはこのやうな、ひらけゆく展望とせばめゆく
修正との スリリング な交代がなく、ただ冷たい劇的構成の鉄骨
の姿だけが、目の前に立ちふさがつてゐるのである。
緻密な構成・豊饒な語彙・絢爛たる文体で知られる第一級の小説家にして此の言あり。
さて、この文で さらけ出された 「(構成の) 鉄骨姿」 は、そのまま、トップダウン 的な やりかた の特徴点であり、かつ、弱点でもあるでしょうね。そして、この 「(構成の) 鉄骨姿」 は、いわゆる ビジネスモデル (Enterprise Business Model) の 「機能階層図」 にも当てはまるでしょう。
そして、三島由紀夫氏は、上に引用した文のあとに、以下のような皮肉を綴っています。
ボクシング の試合を見て現実の喧嘩と混同する観衆の無邪気な熱狂
と同じものが、今日素人小説家の無数の輩出を惹き起こしてゐる。
ボクシング なら叩かれれば痛いから自分の非にすぐ気がつくが、
かういふ連中は痛さを知らないから始末がわるい。
同じことが ビジネスモデル を作成している システム・エンジニア にも言えるでしょうね。「鉄骨」 構成の ビジネスモデル を描いて事業を知った気になられては始末が悪い。
(2009年 2月23日)