三島由紀夫氏は、かれの エッセー 「裸体と衣裳」 のなかで──しかも、その エッセー の終わりで──以下の文を綴っています。
長い書下ろし小説を書くことは、前からの望みだったが、これは
私の西洋かぶれから来たもので、西洋の小説家たちが二三年に
一作を発表するのが慣例であるなら、彼等より経済的に恵まれて
ゐる日本の小説家にそれができないわけはなく、事実、やつて
みればできるのである。
私 (佐藤正美) も 2年か 3年に一度の頻度で著作を綴ってきたので、三島由紀夫氏の この文に同感できます。そして、かれは、以下の文を続けて綴っています。
思へば、「やつてみればできる」 といふのは、私の身の程しらず
の揚言にすぎず、この作品の完成には、障碍も数多かつたが、それ
を凌ぐ無数の幸運が私を扶けてくれたと考へるべきであらう。もし
かすると、それは千載一遇の幸運であつて、それらの幸運の因子の
適当な配合は、爾後二度と私を訪れることがないかもしれない。
私にとって、TM (T字形 ER手法の改良版) が、まさに、この作品 (「鏡子の家」) に喩えることができて、「私の身の程しらずの揚言にすぎず、この作品の完成には、障碍も数多かつたが、それを凌ぐ無数の幸運が私を扶けてくれた」 と綴る三島由紀夫氏の気持ちに同感できます。そして、「それは千載一遇の幸運であつて、それらの幸運の因子の適当な配合は、爾後二度と私を訪れることがないかもしれない」 とかれが吐露した気持ちも、私は 「実感」 として感じています。私は、いま、55歳です── 2ヶ月後には、56歳になります。この歳になれば──そして、この歳になるまで、40歳のときから ひたすら TM を整えることに熱中してきたので──、今後、TM を凌ぐ べつの モデル を私に作ることができるとは思えない、、、TM を作ることは、私にとって、壮年期を費やした大航海でした。
三島由紀夫氏は、この エッセー を以下の文で締めくくっています。
...オンボロ 貨物船を引きずつて、船長は曲りなりにも故郷の港
に還つて来た。主観的にはずゐぶん永い航海だつた。(略) 暫時
の休息ののち、船長は又性懲りもなく、新しい航海のための食糧
や備品の買出しに出かけるだらう。もつと巨きく、もつと性能も
よい船を任される申し出によし出会つても、彼はすげなく拒むだらう。
彼はこの オンボロ 貨物船を以てでなくては、自分の航海の量と
質とをはかることができないからである。それだけがあらゆる船
乗りの誇りの根拠だ。
私は、この文に対して──いかなる感傷的気分を抜きにして──百 パーセント 同感できます。
(2009年 3月16日)