日本経済新聞 2009年 4月26日付け 「春秋」 欄で、以下の文が綴られていました (「春秋」 欄の文から いちぶ抜粋しました)。
だが日本能率協会がまとめた今年の新入社員の意識調査による
と、五年後の自分を 「指示された仕事をこなす人」 と予感する
回答が約四十%と最も多い。業績低下で管理を強めざるを得ない
企業が多く、自然と消極的になるのかもしれない。これでは企業
の将来も暗い。この点では経営者も頭を使ってほしい。
新入社員の五年後といえば、もし大学新卒・大学院新卒の人たちであれば 20歳代後半から 30歳くらいでしょう。前回の 「反 コンピュータ 的断章」 (2009年 6月 1日付) で、「風姿花伝」 の 「年来稽古」 のなかから、25歳くらいの稽古について引用しました。そして、当時の平均寿命を鑑みれば、現代では 10才ほど上乗せして、35歳くらいの稽古として考えていいでしょう。とすれば、その稽古は、新入社員の五年後に適用できると思っていいでしょうね。
私 (佐藤正美) は、システム・エンジニア として現場で仕事するいっぽうで、セミナー 講師も 25年間務めてきました。25年間 (なんと四半世紀です !) セミナー 講師を務めてくれば、セミナー 聴講生たちの表情 (反応) を落ち着いて観ることができます。そして、25年間のあいだで、聴講生たちの 「(聴講態度の) 変化」 を感じています。今の人たちは、昔の人たちに比べて、「物静か」 です。「物静か」 というのは、そのまま 「温順」 ということでは勿論ないのですが、日本経済新聞が懸念している傾向が出ているように私は感じています。会社で指導されたことを そのまま 「真」 として、ほかの やりかた があることを疑わない人たちが かつてに比べて多くなっているように思うのは私の思い過ごしかしら、、、。そして、じぶんの やりかた とちがうことを聴いたら──あるいは、じぶんの やりかた を否定されると──「じぶんは正しい。相手は勝手な『自慢話』 をしている」 と思うか、あるいは、じぶんが叱られていると思い違いして ズッ と下を向いているか のいずれかの反応を示します。30歳過ぎともなれば、なまじ 「(仕事の) 自信」 を持ちはじめた頃なので、じぶんとちがう意見が出てくると、講師の話を聴かないようにして セミナー に集中しない。20年くらい前の聴講生たちは、じぶんとちがう意見であれば食って掛かってきました──「講師は そう仰いますが、しかじかの例では どうなるのでしょうか」 と。私のほうも、質問として具体的な例が提示されれば、対応しやすい。
じぶんとちがう意見を認めないというのは、システム・エンジニア の態度として──様々な可能態を網羅的に検討しなければならない職責にある システム・エンジニア として──危険です (落第です)。しかも、プロフェッショナル になるために今から伸びていかなければならない若い人たちが そういう態度に陥るのは、頑愚すぎる。
テレビ の ニュース 番組で、いくつかの企業の入社式を観たのですが──10年くらい前の話なのですが──、社長たちは 「個性ある人材」 という ことば を使っていましたが、新入社員たちが組織に入ったら、新入社員たちは、「指示されたことを指示されたとおりに」 実施することを期待され、「集団のなかで皆と同じように振る舞うように」 指導されて、それでも はたして、「個性」 を職場で表すことができるのかしら。そもそも、「集団」 と そこに帰属する個人の 「個性」 というのは、排他的ではないのかしら。「集団」 のなかでは、少数の人たちのみが 「個性」 を──あるいは、自由自在に振る舞うことを──許されて、その他多くの人たちは、「言われたことを、言われたとおりに実施すればいい」 というのが 「組織の法則」 ではないのかしら。もし、「個性」 的な人物が組織の 50%を占めていれば、特殊技術をもった専門家の集まりでもないかぎり、「組織」 は確実に崩壊するでしょう。言い換えれば、社員の全員が 「個性」 的であっては 「組織」 が 「組織」 として機能しないでしょう。いっぽうで、「組織」 は、環境に適応するために、(「個性」 そのものが メッセージ となる トップ・マネジメント のほかに、) 現場側において、ダイナミック な思考のできる社員たちを集めて 「チーム」 を組んで、「組織」 のなかで養護しているはずです──そして、「個性」 を 「組織」 のなかで抑えなくてもいいのは、そういう いちぶの人たちのみであって、ほかの人たちは、「組織」 のなかで指示どおりに振る舞うことを強いられるというのが 「組織の法則」 でしょうね。いっぽう、自由に振る舞うことを許されている・現場側の いちぶの人たちは、自由な振る舞いができても 「組織」 の 命令系統のなかに入らないので、「組織」 上の評価は低い──たとえば、年収が低いとか、昇進がないとか──はずです。
「じぶんの意見とちがう考えかたを冷静に聞くこと」 (A) と 「個性」 (B) は、べつの見地です。 A が欠落していても B であることは可能ですし、その逆も可能です。いちばん惨めな状態というのは、A が欠落した B の状態です。B を抑えられているとしても A であることは、職業人として当然の状態でしょう。なぜなら、A は 「判断」 の根底にある ちから だから。そして、「指示されたことを指示されたとおりに実施すればいい」 ということ自体が A を前提にしているはずです。というのは、たとえ、じぶんが そういう意見でなくても、「組織の法則」 のなかで、そういう意見を聴きなさいということだから。そして、もし、「組織の法則」 で構成された意見に納得できないのであれば、「納得できなくても従うか」 あるいは 「納得できないので従わないか」 のいずれを選ぶかは 「態度」 の問題であって、いささかも 「個性」 の問題ではないし 「思考」 の問題でもないでしょうね。20年くらい前の若い人たちは、この 「思考」 を はっきりと示していましたが、最近の若い人たちは、それを はしょって 「(「組織」 のなかで) 言われたことしか信じない (それ以外の意見を聴かない)」 という傾向にあると感じているのは私の思い過ごし (over-simplification) であってほしい。
(2009年 6月 8日)