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A day after the fair.

 

 「風姿花伝」 では、34歳・35歳頃の稽古については以下のように記されています(参考)──当時の平均寿命を鑑みれば、現代なら、10才ほど上乗せして、45歳くらいのことと 「解釈」 してもいいかもしれない。

     この年ごろの能は、一生のうちの、もっとも華やかな絶頂である。
    (略) もし、この年ごろになって、あまり世間にも認められず、名声も
    それほどでないとすれば、どんなに技術的に上手であっても、まだ、
    「まことの花」 をきわめていないのだと自覚すべきである。三十四、
    五歳ごろに、それをきわめていないとすれば、四十歳以後の芸は
    下り坂をたどることになろう。

    (略) ここで、自分としての能を確立しなければ、その後、世間から
    認められるような能を創り出すことは、とうてい不可能である。

 私 (佐藤正美) のように フリーランス で仕事をしている エンジニア であれば、世阿弥の云う 「『三十四、五歳ごろ』 の芸に対する評」 を実感できます。

 フリーランス であれば、30歳代後半から40歳代前半に、世間で 或る程度の評価 (認知度) を獲得していないと仕事を得ることが難しいでしょうね。幸い、私は、30歳代後半に世間で 或る程度の認知度を獲得していたので、その後 55歳に至るまでの 20年間、フリーランス として、なんとか survive できました。世阿弥の謂っていることは、フリーランス の システム・エンジニア でなくても、技術を仕事の要としている システム・エンジニア であれば一般に適用できる言でしょうね。

 私は、40歳代に (世阿弥の云う) 「まことの花」 を極めていたなどと言うほど自信がない [ 高慢ではない ] のですが、もし、芸で云う 「まことの花」 を エンジニアリング では 「学問を前提にした (我流ではない) スタンダード な技術」 だとすれば、私が その点に気づいたのが 40歳代だったということです。ただし、それを 30歳代で気づいていなければならなかったはずなのに──「反 コンピュータ 的断章」 の 2009年 6月 1日付け エッセー を参照してください──、私は、遺憾ながら、40歳代で やっと気づいた次第です。若い世代の システム・エンジニア たちに対して、これから述べる助言は、たいがい、思い違いされて理解されない助言なのですが、(私が自らの過去を振り返って反省した点として) 「学問を重視してください (学術書を多数読んでください)」 ということです。私は、この思いを拙著新刊 「モデル への いざない」 (2009年 2月出版) 第一章の最初の節 (1.1.1.) で しつこいくらいに述べています。というのは、その思いは、私の痛恨の極みから生まれたので。

 40歳代で 「(いままでの) 経験」 を ウリ にするのは 「早すぎる」──まして、30歳代では なおさらでしょうね。来しかたを振り返って なんらかの教訓・反省を取り纏めることができる年齢は 50歳代のなかばを過ぎてからのことです。30歳代・40歳代に仕事のなかで──ただし、システム を構成する仕事のことですが──犯した ミス は、たいがい、学問の ちゃんとした知識があれば避けられることが多い。30歳代の エンジニア が 「私の経験から言えば」 と謂うのを聞くと私は苦笑してしまいます。30歳代の人たちを greenhorn だと言うつもりは私には更々ないけれど、30歳代というのは、学問を いっそう修めて、技術を確実に習得すべき年齢です──技術を ウリ にするはずの エンジニア であれば なおさらのことでしょう。30歳代に 学問を いっそう修めて、技術を いっそう確実にして、仕事で ますます高評価を獲得して、40歳代で 或る程度の知名度を得るようにすれば、40歳代の仕事は 「花」 となるでしょう。学問を地道に修めて、その知識を実地の技術のなかで工夫して具体化すれば、少なくとも、30歳代に我流で がむしゃらにやってきて、40歳代で ちから (思考力・技術力) が枯渇するような事態を避けられるでしょうね。

 
(参考) 「世阿弥」 (日本の名著 10)、中央公論社、観世寿夫 訳。

 
 (2009年 6月16日)

 

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