「風姿花伝」 では、50歳以上の稽古については以下のように記されています
(参考)──当時の平均寿命を鑑みれば、現代なら、10才ほど上乗せして、60歳くらいのことと 「解釈」 してもいいかもしれない。
このころからは、おおかた、何もしないという方針にのっとる
以外に術 (すべ) はなかろう。「麒麟 (きりん) も老いては
駑馬 (どば) に劣る」 との諺もある。(略)
その時分観阿弥は、得意とした多くの演目を、すでに若い演者に
譲っていて、年齢相応に、やすやすと演じられる曲を、内輪に
ひかえた演戯で、しかも、演出には工夫を こらして演じたが、
その芸の魅力は ますます みごとに見えたのである。
年齢的には、私の 5年後です。もし、私が この稽古に従うのであれば、その前提として、「一座のなかに後継者を育てていなければならない」 でしょうね。後継者の育成というのが、いまの私の最大の難点です。もし、私が今後も いまの仕事を続けたいのであれば、後継者の育成に早急 取り組まなければならないでしょうし、もし、後継者を育成するつもりがないのであれば、廃業することになるでしょう──どちらの道を選ぶかを いまだ判断していないのですが、近々に判断しなければならないでしょうね。
いっぽうで、私は アインシュタイン 氏の生きかたにも共感しています。かれは、年老いても若い科学者たちと真摯に議論して、若い科学者たちに論破されたそうですが、そういう争論を通して若い科学者たちが育ったそうです。もっとも、こういう やりかた は、かれのような天才だからできたことであって、私のような一介の システム・エンジニア には真似が出来ないでしょうね。
私の年齢 (56歳) になれば、「麒麟も老いては駑馬に劣る」 との諺を痛感します。私は 「麒麟」 であるなどという己惚れを些 (いささ) かも持っていないのですが、じぶんの若い頃 [ たとえば、30歳代の頃 ] に比べて、明らかに ちから [ 体力・思考力 ] が落ちていることを痛感しています。
もし、私が このまま一人で仕事を続けるのであれば、clients の作成した TMD を初見で 「20分 (あるいは、30分) くらいで」 読めなければ──言い換えれば、それくらいの時間枠で、TMD に描かれている 「構成 (意味)」 を初見で読めなければ──私は引退します。この引退基準は、40歳代から じぶんに課してきました。幸い、いままで、その基準を下回るような事態に陥っていないのですが、ちからが次第に落ちているので、いずれ、そういう事態に陥ることになるでしょう──だれもが年老いたら かならず向きあわなければならない現実です。エンジニア が的確に (effectively and efficiently) 技術を使うことができなければ、エンジニア としての存在価値はないでしょうね。
困ったことに、私は、いま、腑抜けな状態に陥っています。「モデルへの いざない」 を出版した直後 (2009年 2月出版) から、そういう状態が続いています。その状態は、「論理 データベース 論考」 を脱稿したときに感じた burn-out とは ちがう感覚です。じぶんの身に憑いていた なにかが落ちたという状態に近い。ということは、非常に まずいことであって、「もう、いいや (It's all over, I'm not part of it.)」 という状態です。ひょっとしたら、この状態から這い出せないかもしれない。ということは、引退しかないのかなあ、、、。
勿論、或る ルート から山頂に向かって歩いて、ついには山頂に立っても、他の ルート から登るやりかたもあるし、それぞれの ルート では、色々な景色が見えるので、「これで終わり」 ということはないのですが、さきほど 私が 「もう、いいや」 と綴った理由は、他の ルート を今後歩きたいという意欲が失せてしまったということなのです。我ながら 非常に まずい状態だと思っています。
(参考) 「世阿弥」 (日本の名著 10)、中央公論社、観世寿夫 訳。
(2009年 7月 1日)