「風姿花伝」 のなかの 「問答」 (実際の上演についての一問一答) で、世阿弥は以下の文を綴っています。
(参考)
台本の物語の典拠が確かで、しかも珍しく、幽玄 (優雅な美) で、
面白さがあるといったものを、勝れた作品というのであって、(略)
この文は、「台本」 を 「モデル」 に言い換えてみれば、「モデル」 の実現すべき性質を示していると読めるでしょう。文中の語句を以下のように読み替えてはどうでしょうか。
(1) 典拠が確か → 数学基礎論・言語哲学の確固たる説に準拠して
(2) 珍しく → いままで、だれも気づかなかった視点を与えて
(3) 幽玄で → すっきりしていて (数学的には、エレガント で)
(4) 面白さ → 使っていて楽しさを覚える
TM (T字形 ER手法の改良版) が そうであると私は大言壮語するつもりはないのですが、少なくとも、上述した性質を完備できるように いままで改良してきましたし、今後も改良し続けるでしょう。
(1) は、具体的な本説 (数学基礎論・言語哲学の書物) があるので、それらを丁寧に読んで地道に物にしてゆけば それほど難しい学習ではないのですが、(2) および (3) は 非常に難しい課題だと思います。(2) は、当然ながら (1) を破ってはいけない。そして、たとえ、(2) を実現できたとしても、証明法 (具体的な技術体系) は いくつも考えられるので、できるかぎり単純な構成を作るというのは非常に難しい。
(2) は、TM で言えば、「並び (順序)」 を こだわった、ということです──具体的には、関係の非対称性を示す データ 群 (いわゆる 「event」) と、関係の対称性を示す データ 群 (いわゆる 「resource」) のことです。(2) に対する着想そのものは、比較的早い時期に──1980年代に──私は気づいていたのですが、それを証明して技術として具体化するには、そうとうに苦しみました。その証明と具体化は、私の最初の著作 「CASE ツール の機能解説」 (1989年) から最近の著作 「モデル への いざない」 (2009年 2月) に至る長い道程を辿りました──10数年もの年月を費やしてしまいました (頭の悪い私が支払った対価ですが、顧みれば、あまりにも時間を費やしすぎたと思います)。「モデル への いざない」 では、「閉包、外点、特徴関数」 を使って説明していますが、出版したあとで、「ツォルン の補題」 を使えば、とても単純に (エレガント に) 説明できることに やっと気づきました。すなわち、私は、(3) で躓 (つまず) いたということです。
「ツォルン の補題」 を数学的正確性を犠牲にして趣意のみを大まかに言えば 「全順序は半順序の部分集合だが、その逆はない」 という至極単純な事象を説明しているのですが、この単純な説に気づくまで、私は 10数年もの回り道を してしまった、、、(苦笑)。もし、私が 「全順序は半順序の部分集合だが、その逆はない」 と説明したときに、だれかが 「そんなの当然だョ」 と批評したら、私は泣き出したい気持ちに襲われるでしょうね。それにしても、私の頭の悪さには、我ながら、ほとほと呆れています (泣)──この 10数年の努力は、いったい、私にとって どういう価値があったのか、、、もし、当初から 「ツォルン の補題」 を使っていれば、TM の証明など早く終えて、その 10数年のあいだに、私は、ほかのこともできたであろうに、、、。どうして、ゲーデル 氏の不完全性定理を読んだときに、「ツォルン の補題」 に もっと着目しなかったのか、、、。愚痴ばかりが出てきます。
(参考) 「世阿弥」 (日本の名著 10)、中央公論社、観世寿夫 訳。
(2009年 7月 8日)