「風姿花伝」 のなかの 「奥義」 (芸能者の生きかた) で、世阿弥は以下の文を綴っています。
(参考)
それで、亡父観阿弥はつね日ごろ一忠のことを自分の芸の師匠
であると明言していた。
しかるに、多くの人が、ひとつには頑 (かたくな) な心から、
ひとつには自分自身の無能力から、一方面の芸ばかり身につけて、
あらゆる芸について知ろうとしないで他の芸風を嫌うのである。
これは、自分の芸術的主張や評価の上で嫌うのではなく、ただ、
自分ができないための頑な心があるからである。したがって、
そうした頑な心がわざわいして、一方面の演戯についての名声を
一時期は持てたとしても、それだけでは、芸の花を長く咲きつづ
かせることはないから、あらゆる人々に認められるということも
ありえない。(略) 芸風や基本の技術とか振付は、そのおのおの
によって異なっていても、芸術的な感動というものはあらゆる舞台
芸術に共通したもので、いずれの演者や集団にも通じる面白さで
ある。この芸術的な感動が花なのであって、これは大和申楽・
大江申楽・田楽の能いずれにおいても共通に認められる。
文中、「一忠」 というのは、京都の田楽本座に所属していた役者で、多くの演目をもっていて、大和申楽の得意とする鬼の演戯なども上手だったとのこと。
世阿弥が述べていることは、興味深いことに、後々の時代においても、荻生徂徠・本居宣長や、三島由紀夫・小林秀雄も それぞれの仕事の観点に立って、それぞれ、独自に述べています。さらに、世阿弥は、「奥義」 のあとのほうで、以下のように述べています。
自分の基本となる芸を確立してこそ、それは外のあらゆる芸に
対する客観性も持ちうるし、はっきり価値判断もできるはずで
ある。広く各種の芸風を自分の中に取り入れようとして、自分
の基本の芸風を把握するにいたらないような演者は、自己の能
が確立していないから、自分の芸風を認識することができない
のみならず、まして、他の芸風に対しては、正確に判断できる
はずがない。それでは、不安定な弱い能で、恒久的な花を持ち
つづけるなどということはありえない。花を長期にわたって持ち
つづけることができないのは、自己の芸はおろか、いかなる
芸風についても、知らないのと同様ではないか。
ここで、「芸」 は 「技術」 と同義語と思っていいでしょう。そして、荻生徂徠・本居宣長・三島由紀夫・小林秀雄は、そういう 「技術」 を所有していました。
さて、システム・エンジニア においても、同じことが言えるでしょうね。たとえば、私は、「データベース 技術」 を専門にしていますが、なにも、「データベース 技術」 のみで仕事をしている訳ではないし、そもそも、システム は、ひとつの技術で見通せるほどの単純な構成物ではないでしょう。「専門家」 という語は──あるいは、上に引用した世阿弥の言は──、数学的に言えば、ひとつの閉包が 「基底」 になって、さらに、その閉包の外 (そと) には、膨大な補集合 (つまり、開集合) が存在しているので、「基底」 を起点・前提にしながらも、「外点」 を 「基底」 で扱う関数のなかに取り込んで──言い換えれば、自分の性質になるように取り込んで──ゆく状態の中で、その 「基底」 が 偶々 (たまたま) 特殊な技術を使う領域であって、そういう特殊な技術を使う人のことをでしょうね。「偶々」 と綴った訳は、もし、特殊な技術を対象にしていないのであれば、前述した状態というのは、およそ、普段の生活のなかで起こる状態だから。「外点」 の取り込みが 「生長」 ということでしょうね。そして、「外点」 を取り込むためには、みずからの特性関数──世阿弥流に言えば、自分の芸風──を熟知していなければならないでしょう。闇雲に ただただ 取り込むのは 「雑学」 であって 「博学」 ではないでしょうね──押し入れのなかに使わない物を多数収納しているのと同じことでしょう。そういう状態は、a second nature になっていないということ。
ただ、現代の社会において、手本としたい人物が なかなか いないというのが問題点ですが、、、。そうであれば、昔の人物であっても、上述した 「芸風」 をみせてくれる人物を範にするしかないでしょうね。
(参考) 「世阿弥」 (日本の名著 10)、中央公論社、観世寿夫 訳。
(2009年 7月23日)