「風姿花伝」 のなかの 「問答」 (実際の上演についての一問一答) で、世阿弥は以下の文を綴っています。
(参考)
能において、いっさいの動作は、謡の文句に即してつけられる
のである。身体の構えや身のこなしといったものも、すべて
謡の文句に即していなければならない。
セミナー (あるいは、一般に云って プレゼンテーション) においても同じことが云えるでしょう。プレゼンテーション において、講師は手を動かしていることが多いのですが、どうも、その動作が しゃべられている中身と対応していなくて、手が ただ無意味に バタバタ と動いている様は見苦しい。況 (まし) て、高い声で、かつ、両手を身の前で盛んに動かされては、醜悪です。
日本語の アクセント は ピッチ・アクセント (高低) であって、ストレス・アクセント (強弱) ではないので、どちらかと云えば、日本語で語るときには (全身や手などの) 動作を誘発しないのですが、いっぽう、英語の アクセント は ストレス・アクセント なので、「強」 ストレスで語るときに手などの動作が自然と連動するようです。日本語で語るときでも、喉や胸式呼吸ではなくて、腹式呼吸であれば──いわゆる 「腹から声を出せ」 と云われている やりかた ですが──、やや ストレス・アクセント で語ることができるので、「強」 ストレスで語るときに手などの動作が出ても自然に感じられるのですが、ストレス・アクセント で日本語を ズッと しゃべることが自然かどうかは疑問です。というのは、ストレス・アクセント で語られる英語では、1分間に語られる単語の数が日本語に比べて多いので、もし、日本語を英語のような ストレス・アクセント で しゃべれば、「しゃべる速度が早すぎて聞き取り難い」。
私は、ときどき、NHK の ラジオ 番組を聴くのですが、テレビ であれば アナウンサー の姿態が見えても、ラジオ では 「声」 のみが伝達手段なので、「声」 が伝達の良し悪しを決める最大の要因です。そして、NHK の ラジオ に出ている アナウンサー たちは、声を (やや低めに) キッチリと抑えて、話す速度も確実で、プロフェッショナル として、見事な しゃべりかた に仕上げています──女性 アナウンサー の幾人かの 「声」 には、セクシー さ さえ感じるほどです。かれらの声の運びであれば、手などの動作は、ほとんど無用でしょうね。尤も、かれらは プロフェッショナル として訓練されているので、そういうことができるのであって、われわれが同じような しゃべりかた をするのは無理でしょう。
ただ、世阿弥の謂うように、「いっさいの動作は、謡──われわれの仕事で云えば、プレゼンテーション の中身──の文句に即して」 いなければならないのは、プレゼンテーション の鉄則でしょう。「プレゼンテーション の やりかた」 などという ミーハー 本を読んで、「適宜、動作を入れる」 という指示を猿真似しても道化でしかないでしょうね。
(参考) 「世阿弥」 (日本の名著 10)、中央公論社、観世寿夫 訳。
(2009年 8月 8日)