「至花道」 のなかの 「二曲三体のこと」 (基本技術・基本役柄) で、世阿弥は以下の文を綴っています。
(参考)
正統な修業の最初の段階は、二曲三体 (にきょくさんたい) の
稽古に専念すべきである。「二曲」 というのは、舞と歌であり、
(略)
さて、十七、八歳になって、成人の男子と認められたころからは、
いよいよ本格的に能を演じるようになるから、面も使用するし、
あらゆる役に扮装して、各種の演戯の必要にもせまられてくるが、
それでも、なお、真に秀でた演戯者として自己の芸を完成させる
ための稽古は、三体に限定すべきである。三体とは、老体・女体・
軍体、この三種である。
この二曲三体の基本形に統合できないさまざまな風趣の曲がある
が、それはすべて二曲三体の稽古を積み重ねるうちに自然に発現
してくる、応用的な能力で演じるものだから、そうした演戯が
体験をつうじていつの間にか体得されるまで待つべきである。
演戯の基本役柄の稽古がしっかりしていれば、その応用を演じて
も その演者が心中に抱いている芸術的意図が自然に表現となって
訴えてくるのである。
二曲三体から稽古をはじめず、末梢的な演戯ばかりに心をうばわ
れることは、基礎的なものを欠いた枝葉末節の稽古である。
世阿弥の訴えている点は、一言でいえば、「基礎の習得が大切である」 ということで、その基礎は 「能」 において 「二曲三体」 であることを見いだした点が世阿弥の天才なのでしょうね。
世阿弥の父 観阿弥は、当時の大衆芸能であった曲舞 (くせまい) を 「能」 に流用して、「能」 の音曲を改革した天才でした。観阿弥は、女曲舞師 乙鶴 (おとづる) に指導を仰いで曲舞を学んで、それまでの 「申楽」 が メロディー (旋律、節) 本位だったのですが、リズム・テンポ を導入しました。これが 「能」 の音曲で云う 「クセ」 となりました。
観阿弥は、世阿弥が生まれた頃に 「結崎 (ゆうざき) 座 [ 大和申楽 ] 」 を組織して、世阿弥が 22歳のときに他界しました。世阿弥は、父 観阿弥を手本とするいっぽうで、他流の大江申楽に属していた犬王 (道阿弥) の芸風に傾倒していました──世阿弥は、「申楽談義」 のなかで、犬王を絶賛しています。犬王の芸風は、俗気のない高尚な気品に充ちて幽玄第一主義だったそうです。世阿弥は、観阿弥・道阿弥を手本にして、二曲 (舞と歌) を統一して、劇の構成では 「序・破・急」 を導入して、「能」 を 「芸術的な (幽玄な)」 詩劇として完成しました。世阿弥は、「申楽」 を継承しつつ、様々な工夫をこらして、ついには、「申楽」 を 「芸術」 の域に高めました。さきほど、世阿弥の言を 「基礎の習得が大切である」 というふうに単純に まとめましたが、「基礎の習得が大切である」 ということくらいなら、世阿弥の天才を待つまでもなくて、われわれ 凡人でも謂い得ることです。世阿弥が いくら天才であるからといっても、一人で 「能」 を完成した訳ではないのであって、かれは、前時代からの遺産を継承しています。その遺産を一歩前進させたという点が かれの天才の天才たる所以でしょうね。
現代では 「個性」 とか 「独創性」 などということが重視されすぎて、うっかりすると、じぶんの業績を、まるで、ひとりで事をなしたかのように錯覚してしまう危険性が高いのですが、昔から継承されてきた遺産のうえに じぶんの仕事ができあがっていることを忘れてはいけないでしょうね。しかし、いっぽうで、わずかな工夫を 「どうせ、今までの やりかた と たいして変わらないのだから」 と切り捨てて、「みんな同じである」 と括ってしまうのは怠慢でしょうね。過去の遺産のうえに、いかなる工夫がされたかを丁寧に見極めるのが 「分析」 という行為でしょう。
「三体」 について、世阿弥は、当初、これほど的確に まとめていた訳ではなかった。「風姿花伝」 では、「物学 (ものまね)」 として、「女・老人・直面・物狂い・法師・修羅・神・鬼・唐事」 というふうに まとめていました。それらの まとめ が、ついに、「老体・女体・軍体」 の 「三体」 として昇華されました。そこに至るまでには、勿論、数多くの稽古・実演があって、稽古・実演を くり返して至った まとめ が 「三体」 でしょうね。すなわち、飽くことのない 稽古・実演の反復のなかで単純化された、ということ。「三体」 が他の体の基本であるというのは、実践のなかでしか気づき得ないことでしょうね。
さて、TM (T字形 ER手法の改良版) は、当初 (「T字形 ER手法」 として生まれた頃) の まとめ と較べたら、そうとうに単純になってきました。世阿弥の 「二曲三体」 をもじって TM を まとめてみれば、「二曲」 は 「L-真と F-真」 で、「三体」 は 「個体指定子、半順序と全順序、セット の切断」 というふうに まとめることができるかもしれない。モデル の セオリー (数学基礎論・言語哲学) のなかで、TM が辿り着いた基礎概念は、以上の 「二曲三体」 かもしれない。そして、それらは、以下のように まとめることができるでしょう。
(1) 語い [ 合意された項 (個体指定子と「性質」)]
(2) 構成の無矛盾性 [ L-真 (全順序と半順序、切断)]
(3) 構成の完全性 [ F-真 (T-文)]
(参考) 「世阿弥」 (日本の名著 10)、中央公論社、観世寿夫 訳。
(2009年 9月16日)